忍者ブログ

B-DIARY

筑波大生のあれやこれ。

   
カテゴリー「日記」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

クラ対2日目

200mに出まして

200m:23"77(+2.7m)

の追い参でシーズン終了。自己ベスト更新とは言いません。
少し技術的な話を備忘録的に書いておくと、普段からカーブでの上体の崩しによる内傾を意識してるんですが、練習で300m走ったりしてる時は上手くいくもののスピードか高いままカーブを走ることになる200mでは制御が上手くいかず、「意識して崩す」状態になってしまっています。本来力まずに内傾するための「崩し」であるべきなのですが、意識して崩そうとすると力みが生まれてしまうので逆転現象が起こってるんですね。これは練習して自動化するしかない点です。
そういう点が冬季練に委ねられることになると。

いやーしかしシーズン終わってしまいました。
言いたいことは筑大競~クラ対前にだいたい言い散らかしてしまって、繰り返しになるのが見えてるのでもうやめにしましょう。
ただひとつ、最後に一言で今シーズンを表すとすれば、「敗北」にしましょうかね。
怪我で苦しんだ高1以来に精神的につらかった。何をやっても勝てた去年とは裏腹に、今年は何をやっても負けた。

しかしまぁ壮絶な飲み会の次の日に競技場に足が向いてしまうぐらいには自分にかかってる呪いもまだまだタチの悪いもので。
負けたからこそまだやめられない。まだ自分には競技場に行きたいと思えるだけの気持ちが残ってて、強くなるためのアイディアも降ってくる。
まだやめる訳にはいかない。

とはいえ思うところや悩みはあります。
まず来シーズンの種目選択をどうするか…さしあたって400mHと110mHのどちらを優先するか。今年は導入的な意味も含めて両方均等ぐらいにやってたつもりだけど、来季はさすがに絞りたい。そして今110mHに気持ちが傾く自分がいる。その時にふと思うのは同期や後輩に勝てるかどうか。勝てない勝負に見切りをつけるという意味がまったくないと言えば嘘になる…それでも何か1つを選ぶということは他の諸々を選ばないことな訳で。
加えてマイルや短長系全般も同じことが言える。トラック種目において自分は何を専門として生きるのか、そして周りに勝てる領域にまで辿り着けるのだろうか…
あとまぁ悩みといえば進路選択の話なんですが、3年次以降に取るゼミの選択肢として第一志望に挙がってるのが陸同の練習時間と被ってるという。さすがにここまで学業より陸上を優先するのかとも思うんですが、第二志望に変えたら被んなくなるとかそもそもどんぐらい違うのかとか…このあたりはもう少し情報収集してから考えないとダメですね。

今月いっぱいは陸同はフリー期間なのでのんびり構えて…いや、その前に学期末のレポートやらテストやらと戦うことになります。
もっと真面目に勉強しないとな…
PR

クラ対1日目

まずは1日目の結果報告を。

400m:55"14
100m:11"78(+1.4m)

400m…orz
ここまで来ると自分の種目適性を疑うレベル。本当に俺は短長の人間なんだろうか。
実際300mは今シーズン37"5では走れてるのになんで100m伸びるだけでこうも変わってしまうのか…しかし走ってる実感としても今シーズンの400mはとにかくラスト100mにとことん苦しめられました。今日もブレーキというよりもストップという方が正しい程の減速。体が地面反力に耐え切れていないのをひしひしと感じました。筋力も走りこみも足りないんだなぁ。
同期や後輩が次々と51~2秒台を連発するのを見て力の差を再認識しました。周りの人たちの伸びもすごい。自分もそれに乗っかりたい…ちょっと今更感はあるけど。

その反面100mは念願の公認11秒台!ようやくスプリンターになれた気がします。
400の後1時間半ほどしか時間がなく、またハムストリングスへのダメージも大きい状況でしたが高校時代にちょろっと触ったPNFなんかを久々にやったりしてそれなりに対処。お昼ごろだったので気温もちょうどいい感じに上がってきて、風もあまり強くなかったのでコンディション的には最高でした。
スタートで若干出遅れたものの後半で上手く巻き返し、しっかりトルソーも決めてゴール。外側にいた同じ学類の先輩をかなり意識していたのですが0.03秒差で負けてしまいました…無念。

今日は他の人の競技も熱かったです。100mで一緒に走った先輩が110mHで15秒台を出したり、1500mでは1年生が4分切りで優勝してみせたり、やり投げでワンツーしたり、男子4継が3位入賞したり…いい勝負がたくさん見れました。

来週の200mも頑張ります。

明日

いよいよクラ対が明日に迫って来ました。

その大事な時期に僕は



風邪を引きました。



もうホントさぁ…

とはいえ最初に喉痛いなーと感じたのが月曜日でだんだんと鼻に移ってきて木曜ぐらいがピークだったのですが、今朝起きるとかなり良くなってたので明日の朝起きた時には治ってるだろうという見込みです。本気で。じゃないと困るんでね。

今年もクラ対は隔週開催で、明日は100mと400m、来週の土曜日に行われる2日目では200mに出場します。今年は対抗選手になれなかったのですべてオープンでの参加になります。
ここまでスプリントに特化して出るのは初めてな気がします。今年で言うと5月の石岡は200mと400mでしたが。それでも1つの大会で個人3種目というのは今までにないですね。



やはりシーズン最後の大会ともなれば特別な感情を抱かざるを得ないというものです。
去年は400mHとマイルの対抗選手だったので、とにかく「勝ちたい」という気持ちが大きかったです。結果的には空回りに終わってしまったわけですが、それでも陸上人生の中で最も燃えていたと言えるでしょう。
今年のクラ対を迎えるに当たり、真っ先に浮かんできた言葉は

「贖罪」

でした。
「アスリート」としての自分を裏切り続けてきたという罪の自覚のようなものに縛られているがゆえのこの直感だったのでしょう。こんな言葉が降ってくるなんて、今の僕はもう後ろを向いてしか走っていないのかもしれない。
大会というものは往々にしてただ走る以上の意味を与えてくれますが、今回のそれは自分が競技者以下であることを知らせてくれるものでした。



いや、まぁ、すでに終わってしまったような言い分ですけどまだ始まってもいないわけで。
たとえ罪滅ぼしだとしても、罰ゲームだとしても、それを受け容れて走ることしかできません。どんな自分であったとしても、最後の大会の最後の走りこそは集大成の表現であるべきなのです。自分にとっての陸上というものを表現するための走りであるべきなのです。
なんだかんだ言ってスプリントの能力は去年の同時期と同水準ぐらいになっているので、風に恵まれさえすれば100mと200mは公認ベストを更新できるのではないかと思っています。いくら短長の人間とはいえ僕だってさすがにそろそろ11秒台で走りたいんですよ。
400mは不安が大きいのですが、先日の練習でポロッと弱音を吐いてしまった時に後輩が即答で「弱気になっちゃダメですよ」と言ってくれたのがとてもシンプルで、心に響いて、嬉しかった。これでまだ頑張れる気がしました。



だから、この表現を使うのは初めてではない気がするんですが、それでも、全ての弱気を、負けそうになる気持ちをここに置いていこうと思います。
重荷になるものはここに置いて、明日走ってきます。

ねこ

実家の猫が亡くなったと聞いた。

確か小学1年生かそこらのときに、庭にやってきた野良猫を母が餌付けして、そのままうちに引き込んでしまったのが始まり。その頃に3歳ぐらいだったそうな。
その何年か後に子猫を2匹産んでうちには3匹の猫が住まうようになった。子猫たちのほうがどんどん成長していき、まぁいわゆるデブ猫の類になり、母猫の方はヒエラルキー的に下の方になってしまったらしかった。親がどうとかって関係ないのかね猫社会では。

高校進学と同時に実家を出てしまったため猫達を見る回数も激減してしまった。
それでも帰省のたびに猫達は自分の事を覚えてくれていたようだったけど、帰省のたびに時間の流れを感じていた気がする。
昔はタンスの上やら食器棚の上やらで寝ていたはずの母猫が、いつしか未だに買い換えてないブラウン管テレビの上でしか見かけないようになった。
もう跳べるだけの力がなくなっていたんだろうなぁ。

今年の夏に母猫のほうが乳がんにかかっていると聞いた。
早期に避妊治療を受けていれば乳がんのリスクは低下するらしいけど、うちに来た時点で3歳ぐらいだった母猫はもうどうしようもなかったのね。
むしろ13年間よく生きたなと思う。

帰省も少しさみしくなるな。

アスリートという

例えばオリンピックが近づく時期に、アスリートと呼ばれる人々を見て私たちは何を思うだろうか。
生まれながらの才能もさながらに、たゆまぬ努力を重ね、挫折にもくじけず栄冠を目指す姿だとか、そういうものを想像するのではないか。
アスリートと呼ばれる人々を見て、そのように想像する…はたしてその順番で本当に合っているのだろうか?
もしかしたら本当は、私たちの想像が「アスリート」を生み出しているのではないか。

いわゆるトップアスリートに限らず、もっと身近なレベルでもそれは起こりうる。
僕の14年も格好の例になりうる。小学校入学とほぼ同時におよそ週3回は走り続けていた。もちろん選んだのは僕自身だから今更そのことについて後悔することもないけれど、機会費用として失ったものの大きさも計り知れないことは心に留めておくべきか。
ステージが上がるにつれて走ることに付随する意味もまた増えてくる。強くなることや勝つことが義務として求められるようになる。
アスリートであれと求められるようになる。
そこで「勝つためには人並みの楽しみを犠牲にしなければならない」という言葉だったのだ。スポーツに青春という時間を捧げられるような純真無垢な競技者を丸め込むのにこれだけの言葉があっただろうか。

「このような練習をしなければ」「このように栄養を摂らなければ」「このように休息を取らなければ」「この日のこの時間は練習をしなければ」「これを買わなければ」
「強くなるために」「強くなるために」
怠惰などもちろん許されず、余暇も趣味もすべて強さの二の次。
すべてを強さのために捧げることこそがアスリートとしての宿命であり、そして強さを得ることのみにアスリートの喜びがある。

それはもはや人を超えた、アスリートという「概念」。

それは経験則や集合知かもしれないが、しかしあるべき論や盲信かもしれない。
いずれにせよそのイメージに、私たちは縛られる。その他のあらゆる可能性をただこのために。

人々の思う「アスリート」とは、人が背負うにはあまりにも重すぎる。

カレンダー

08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カウンター

プロフィール

HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上 ゲーム アニメ
自己紹介:
筑波大学に通っております。
同好会で陸上をする傍ら学業をしています。
スポーツに関わりたいと思いつつどういうアプローチをすればいいのか模索中。
一人でいることが多いですが寂しくなんかないんだからね。

リンク

アクセス解析

ブログ内検索

カテゴリー

最新CM

[04/17 NONAME]
[12/21 KANI]
[12/05 200]
[04/03 ながれ]
[04/03 KANI]

バーコード

Copyright ©  -- B-DIARY --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]