ポケモンGO、みなさん楽しんでますか!?
僕はというと配信日に即DL&4800円課金までしたところ、翌日スマホの充電端子が壊れて本体ごと交換対応になってしまい、代替機がポケモンGO非対応機種だったため正味3日ほどお預けを食らってしまい、今リアルマネーに物言わせて1足飛びでレベル上げをしているところです。端的に言うとドハマりしています。
実は金曜日会社が休みでして、その日は食事等も含め10時間どっぷりやってしまいました。
基本的な仕様の説明は
公式サイトに譲るとして、世に出たあとの影響たるや、本当に世界を変えてしまったという印象ですね。最近会社帰りに遠回りして駅に向かうようになってしまったんですが、同じ考えの人とわんさかすれ違いますし、一度深夜に近所の公園に行ってみたことがあるんですが、そこでも想像以上に人がいてちょっとこれはさすがにどうなんだって気もしたりしなかったり。
いやでも本当にこのゲームはすごい。なにせポッポにモンスターボールを投げるというだけの出来事がこの上なく楽しいんです。
なぜならそれを通して僕たちは、ゲームで動かした(あるいはアニメで見た)主人公になることができてしまうんです。最初はどんなポケモンでも出てくると嬉しくて、でも少し慣れてくると草むらから出てくるポッポにちょっとがっかりする。かと思えばレアなポケモンが出てきて大興奮したり、はたまたタマゴを孵化させるために延々と同じ所をぐるぐる歩いたり…楽しいことからちょっとしんどいところまで、ゲームでやったあれこれを現実の世界で追体験できるんです。
よくアニメのフィギュアや精巧な造りの3DCGを「2.5次元」と表現することがありますが、ポケモンGOのAR(拡張現実)によって切り拓かれた世界は、これらよりも忠実に「2.5次元」という言葉の意味をなぞっているのではないかと思います。実際にはゲームの側から僕たちの世界に来てくれたわけですが、さながら僕たちがゲームの世界に入り込んでしまったような錯覚すらあります。
しかしまぁ、接触事故がどうこうといった負の側面ばかりが強調されがちで、ガチガチに規制されたり「ポケモンGOをやめるべき○○の理由」みたいな識者ぶりたい人のネタにされてしまうのは悲しいものです。
正直言うとポケモンにボール投げて捕まるかどうか見てる間やポケストップを巡ってるときに漫然と歩いてしまうときがある(猛省)ものの、ARモードのオンオフやポケモン出現時のバイブなど基本的にソフト側はかなり安全に配慮しているので、やはり使う人間のモラルが問われるものだと思います。そもそもモノが悪いみたいな話をギャースカやりたいのであれば包丁と長時間労働の方がよっぽど対処すべきなわけで。
昼夜を問わずポケモンを求めて人々がさまよい群がるこの「異常」が、果たして「日常」になっていくのか?と考えますと、きっとそんなことはないんだろうなと思います。おそらく1ヶ月もしたら「正常」に戻っていくのではないかなと。
しかし自分がゲームのポケモンをやっていたときを思い返すと、シナリオクリアとその後ちょっとを含めてもだいたいそのぐらいの期間で飽きが来てまた別のゲームに移っていたような気がするので、そのあたりも含めてリアルといえばそうなのかもしれません。
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さて、自分はスポーツで飯を食っている人間なので、こういうときにもスポーツのことを考えてしまいます。
スポーツ実施率の向上というのはスポーツ屋にとって大きな課題の1つです。全体の実施率も思うように伸びず、特に働いている世代の人たちはなかなかスポーツをする時間が取れない…ああでもないこうでもないと手を尽くしてみても状況は大して変わらなかったところに、任天堂様がポケモンGO1つ世に放っただけで外を歩き回る人が劇的に増えてしまったという事実は、スポーツ屋の人間として重く受け止めなければならないと個人的には感じています。
なお、スポーツ実施率の調査ではウォーキングなども種目の1つとして認められている(
H25年度調査票 Q4(ウ))ことに鑑みると、スポーツという語は競技性やルールといった点は問わない身体活動全般を指すと理解すれば良いかと思います。
とはいえ永くマインドスポーツやe-sportsの類をスポーツとして認める理由に苦慮している日本のスポーツ観では、これもゲームの側の出来事として処理されて、スポーツの側の出来事としては見做されないでしょう。なにせスマホを持って歩いてるだけですし、おおよそスポーツといえる見栄えではないかもしれません。
ではここでポケモンGOの要素の1つである「ポケストップ」に注目してみましょう。デフォルメされた地図上に様々な観光名所や特徴的なオブジェがポケストップとして表示され、それの近くに行くとアイテムが貰える。プレイヤーはこれを求めて地図上のポケストップを次々に巡っていくことになります。アイテムは5分で更新されるので実際には歩かないでその場に居座る人もいるのですが…
さて、地図を見て、自然の中を駆け巡り、チェックポイントを辿って競うというスポーツがありますね。
オリエンテーリングというものは確実にスポーツとして存在しています。ではポケモンGOは?手放しでスポーツだと言い切れるとは思っていませんが、議論の俎上にすら載せないというのは明確に間違いだと言えます。
何がスポーツをスポーツたらしめる要件となるのかを考える上で、フォルクスワーゲン社の「Fun Theory」というものを紹介したいと思います。以下の動画は、「どうすれば人々はエスカレーターではなく階段を使うようになるか」という問題に対してとられたものです。
このように階段をピアノにしてしまうことで、階段の利用者が通常よりも66%増えたそうです。楽しいという気持ちが人々の行動を変えるというのがFun Theoryの趣旨なのですが、これを僕に紹介してくれた方は続けてこうおっしゃっていました。
「もしこの階段がずっと設置され続けていたらどうなるでしょうか?おそらく次第に人々は飽きていって、またエスカレーターを使うようになるでしょう。外発的な動機付けは継続につながらない、だからこそこれをいかに内発的動機付けにつなげるかが大事なのです。」
やりたいという気持ちの源泉を自分の心の内に持つことで、自立した行動に繋げられる。考え方としては陸上の400mHの為末選手の「自己愛(参考:
①②)」に近いものがあります。
ただし、外在的動機と内在的動機は必ずしも白と黒の二者択一ではなく、あくまでグラデーションの濃淡として捉えるべきもの、どちらか片一方ではなくて、どちらもあって程度の問題であると認識すべきでしょう。個人的にも競技をやっていた実感として記録や順位、それに伴う賞賛というものがわかりやすくモチベーションとなっていたことはありますし、最近のスポーツの観念としても「スポーツが文化である」という目的論的な視点が注目を浴びるにつれて、妙に手段論的な視点を毛嫌いしすぎる傾向があるのではないかという印象があります。
配信から1週間の今はまだゲーム自体の面白さという外発的動機の熱量が大きい時期です。しかし先述のとおり人々がゲームに飽きてしまえば、熱も冷め、街を歩く人々も次第に減っていって、僕たちが思うところの「正常」な風景が戻って来てしまうでしょう。
それはスポーツ屋にとって取り返しの付かない損失なのです。もしポケモンGOがカジュアルなオリエンテーリングだとかウォーキングの発展形だとか、どんな視点にせよスポーツの側のものとして受け容れられれば、長年スポーツ屋が頭を悩ませてきた課題も一気に吹き飛んで新たな地平が見えるはずです。
そしてなんとも周到なことに、内発的動機付けに結びつきそうな要素までポケモンGOには用意されています。それはポケモンGOが仮想現実ではなく"拡張"現実という、現実とつながった世界にあることです。
拡張現実のポケモンを追い求めて辿る道のりには現実の街並みがあり、拡張現実のポケストップには現実のオブジェがある。僕もこのゲームをやっている間に、自分の家の周りにずいぶん詳しくなったり、青山通りからちょっと外れた服屋の並びというおそらく一生通る機会がなかったであろう道を通ったりしました。ポケモンGOによって導かれた現実世界の探検はとても楽しい体験でした。おそらくこの楽しさこそが、内発的動機付けに繋がる小さくも大きな一歩なのだと思います。
そしてこの楽しさに導く役割は、20年の歴史を持ち世界中で親しまれてきたポケモンだからこそ成せる業でしょう。あのポケモンが僕たちの世界にいるということのインパクト、世界中の老若男女への知名度においてこれに対抗できるキャラクターがどれほどいることでしょうか。
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ポケモンGOは世界を変えてしまったけれど、それがあまりにも劇的すぎて変わってしまった世界の未来をいまいち想像しきれていないのかもしれません。しかし旧来的な価値観に囚われて変わってしまった世界を受け容れられなければ、これまでどおりの不満や課題がこれまでどおり残り続けるだけになってしまいます。
ポケモンGOのある世界で、僕たちの生活や未来はどうあるべきなのか、どうあれば今より少しでも良いと思える世界になるのか、拡張現実のポケモンから現実の僕たちへの問いかけなのではないでしょうか。