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筑波大生のあれやこれ。

   
カテゴリー「日記」の記事一覧

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夏休み

を迎えました!
正確には7月~8月10日まで春Cモジュールということになっているんですが僕は授業がありません!
7月~9月が丸々休みになります!やったね!!

3ヶ月休みって改めて考えるとすごいですね。特に9月が休みってのがすごく新鮮です。
今のところ入ってる予定は7月中旬に3年連続出場となった富士山麓のリレーマラソン、下旬にゼミ合宿、8月中旬に帰省といったところでしょうか。
あと今年は東日本医科学生総合体育大会(東医体)が青森で開催されるとのことで、どうにか帰省と被せられないか画策しているところです。観戦して、JRで実家に帰って、少し遊んだら戻ってくる感じですかね。出来れば札幌にも遊びに行きたいところなのでその辺りも予算案を練っておきたいと思います。

せっかくのモラトリアムなので3ヶ月遊びほうけたいんですが、独立論文のことを考えると少しは関連する論文や本を読んでおきたいところです。
独論のテーマはまだ仮という事になってるんですが今のところ「日本のジュニア・ユース世代のスポーツ受容」ってな感じになりそうです。
ざっくり言うとスポーツに親しみのない素人がどういう過程でスポーツに慣れ親しんで、またスポーツをどのようなものとして捉えていくのか。日本だと部活動がその契機となることが多いわけですが、純粋なスポーツクラブではなく学校に付随して教育的意義を付与される部活動においてどのようにスポーツが受容されていくのか。みたいなことを調べたいなと考えております。
一橋大学の社会学の先生で部活動に関する研究を行なっている方がいるそうなので、その人の論文を中心に、関連しそうな理論書とかを読んでいくつもりです。軽いのなら1日1本ぐらい読めるようになりたい…いい加減本嫌いなの克服できんものか…

いずれにせよ実のある夏休みにしたいですね。
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震え

人前で喋るときに手足が震えてしまいます。

まぁ誰しも(程度の差はあれ)少なからずある症状だと思うんですけど、僕の場合自覚したのが中学生か小学生ぐらいで、大学3年になってもまだ改善されないあたり一生治らない気がしてきました。
数をこなせば慣れるもんだろって構えてて、実際これまでも人前で話す機会が少なかったわけではないんですがそれでも芳しくないですね。去年のドイツ研修の最終発表とか、ゼミ発表とか、結構周りに心配されるレベルで震えてたらしい。

陸同で喋ってる時はそこまでヤバそうな自覚はなくて、きっと喋る内容自体に自信があるかどうかで喋り方にも影響するのかなぁって気はします。いや一応ゼミとかでも頑張って考えてから喋るようにしてるんですがなかなか…

いくら喋ろうとしてる内容を充実させようとしても喋り方が弱々しいとそれだけで聞いてもらえなさそうなのでやっぱり技術としての「喋り方」って大事に感じるし身につけたいなと思います。



あと随分前に初対面の女の子に「女の子と喋る時緊張してますよね」って煽られたことがあったときはおぉ…もう…って気持ちになりました。モウダメダ。

筑大競

200m:23"53(+1.0m)

「23秒後半」から「23秒中盤」になる瞬間は思ったよりも早く訪れた。
これのために調整したわけでもなく、走ってる間なんかラストでハムがもたなくて実力不足を痛感したものだったけど、いい意味で実際の力量と自分の認識にズレがあるのかもしれない。

まぁ卑屈な言い方をすれば自分のやりたいメニューをこの6ヶ月ぐらい続けてきたわけでしょって話でもあるんだけど、結果に結びついてるのが嬉しくないわけないですよね。
それと同時にもう6ヶ月も経ってて、自分の仕事ももう折り返しまできたんだという時の流れの早さを実感してしまいます。

自分は短距離ブロックに何を残せたのか、何を残せるのか。
とはいえ自分に求められてるのが「何かを残そうと振舞うこと」ではないのだろうというのもわかるけど。

スプリングカーニバル

上柚木で行われたスプリングカーニバルで200mと110mHに出場してきました。
前日に大学の宿舎祭で道民会の店手伝ってたら意外と歩きまわることになって、今日アップの時に疲れ溜まってる気がするなー大丈夫かなー…って感じだったんですが

200m:23"70(±0.0)
110mH:17"21(-2.1)

ということで2つともささやかながら自己ベストを更新しました。

雑感としてはアップをやり過ぎないのが結構うまくいった気がします。200mは良い感じに力が抜けて地面を掴めてる感覚がありましたし、ハードルも直前まで1台目でぶつけまくって安定しなかったんですが今までで一番うまく走れました。

まぁ200mのスタートが微妙だったとかハードリングがまだまだ下手だとか根本的にジャンプ力が足りないだとかの課題や、200mで同期に0.01秒差で負けたとかこのぐらいのタイムで安堵してていいのかとか色々と思うところはあるんですけど

ベストが出たならいいじゃないか。

それ以上何を望むというのだろうか。

最近うだうだうじうじグダグダ悩んでることが多かったんですが、今回の結果を受けてひとまずそれは収まって、それなりに満足した気持ちと共に競技場を去ることが出来ました。久しぶりに自分のやってたことが無駄ではなかったという実感を得られたのは救いでした。
その上でまだ課題が残っていて、つまりまだ走るに足る理由が残っているわけです。



来週筑波大記録会で200mにもっかい出て、次は7月頭の茨城県選手権に110mHで出るつもりです。そこで16秒台を出すのを目標にしたいと思います。
もう少し、まだもうちょっと頑張ってみます。

共同体開発

ゼミの先生が文化人類学の中でも開発人類学という分野の方で、またその先生が開講している授業をとっているので、途上国開発的なお勉強を結構やっています。
実際にそういう職に就くことはないと思いますが、考え方や視点が面白いんですよね。
例えば人類学者というのは対象社会に対して参与観察、つまり自分はその社会の内部の構成員でありながら、外部者として社会を観察するという手法をとり、それによって対象社会の現状を理解し、民族誌という形で記述します。また開発人類学、つまり途上国の発展に寄与するという分野においては民族誌の記述をもとに対象社会のあるべき姿を模索し、現地の人々の気づきを促したり主体性を喚起したりという実務活動にも関与します。

こういう話を聞いていて思うのは、自分が週4回同じようなことをやっているなということです。僕は陸上同好会で選手として内部で練習に参加しながら、同時にブロック長としてメニューに取り組む他のメンバーを観察しています。内在的な視点と外在的な視点を往復しているということです。
開発人類学で扱うのは国とか村とかいった大きな単位ですが、共同体というくくりで捉え直せばサークルも開発の対象のなり得るのではないかと思います。だからこそ自分は卒論のテーマとして部活動を選んだうえで人類学系のゼミを選択したんですね。

参与観察という手法による内在的視点と外在的視点の往復、これは先頭に立ってメニューを引っ張る立場でなくとも、選手1個人として行うこともあります。PDCAサイクルに基づいてセルフマネジメントをする場面です。
Plan(練習計画)-Do(実践)-Check(フィードバック)-Act(修正)-Plan…というのは練習においても採用されうる考え方ですが、Doの部分では選手としての主観的感覚・内在的視点が、それ以外の部分では指導者的な客観的知見・外在的視点が必要になります。そしてこの「外在的視点を持てるかどうか」というところにただの選手から1ランク上がった「気づき」とか「主体性」というものがあって、それを促せるかどうかというのは指導する立場としての自分には大きな課題となります。そこに「陸上を楽しむ」という同好会が追い求める言葉の意味が内包されていると思うので、僕が短距離ブロック長としてこの課題を乗り越えられれば同好会全体の益に寄与できたことになるのではないかなということです。

そこで最近思ってた事例としてフレキハードルドリルを挙げたいと思います。フレキハードルというのは

こういう風にバーの部分がフレキシブルに動くハードルで、脚をぶつけたり上から踏んだりしても大丈夫という便利な代物です。これを一定の間隔で置いて走るというメニューをだいたい月1ぐらいでやっています。高校時代にも結構やってて個人的には好きなメニューでした。
少し専門的な話になりますが、僕はこのハードルを使って走ることによる効果を「ハードルがないかのように意識しながらも、実際にはハードルがあるかのように体が動く」ことにあると考えています。このメニューをやるとき、主観的にはハードルはないものと思って走ります。つまり跳ばないってことですね。ただのミニハードルと違ってぶつけても大丈夫なのでそういう動きができます。しかしハードルがないと意識していても無意識の部分ではやはりハードルの存在を認識していて、客観的に見るとぶつけまいとするために足を高く引き上げます。この意識と無意識の乖離こそがとても重要で、本来ストライド(1歩でどれだけ前に進めるか)とピッチ(脚の回転数)はトレードオフの関係、つまり大きく走ろうとするとゆっくり動いてしまうし、速く動かそうとすると小刻みに走ってしまうという難しさがありますが、フレキハードルを置くことで「意識の部分では脚を速く動かそうとしながらも、無意識の部分で大きく動く」ことになり、ストライドとピッチを両立したまま走ることができます。
1月~3月の練習ではこういった趣旨をすべて説明していました。「ハードルがないかのように意識しながらも、実際にはハードルがあるかのように体が動く」というのをそっくりそのままみんなに伝えていました。おそらく何言ってるんだコイツって思いながら、頭に?マークが浮かんだままやってた人もいるのではないかと思います。説明下手な僕の責任だと思います。
4月になって新入生が入ってきてからこのメニューをやるに際し、説明を削れるのではないかということに気づきました。今の説明では「ハードルがないかのように走る」としか言っていません。つまり後半部分を丸ごと削ったのです。
なぜこのように説明を削れるかというと、もう一度1月~3月の説明を見返すと「ハードルがないかのように意識しながらも」という前半部分は内在的視点、「実際にはハードルがあるかのように動く」というのは外在的視点というように分離することができるのがわかります。しかし実際に”選手”たる短距離ブロックのみんながまず意識すべきは内在的にどのように動かすべきかということです。”指導者”たる外在的視点を必要としていない限り後半の説明は蛇足になります。そして初心者もいる新入生が入ったこの時期に、蛇足になるかもしれない説明を施すことでみんなを混乱させ、本当に意識すべき点の優先順位を見誤ってはいけないと思いこのような形になりました。
これから先気づきを促す・主体性を喚起するという方向性でこの練習を続けるとすればまた3月以前のような説明をすることになるでしょう。そのときに混乱を招かないようにできるかが課題を克服できるかの第1歩となるでしょう。

ここまで書いて気づいたんですが以前に「フィジカルリテラシー」って言葉を使いながら似たようなこと書いてたんですね。何回も書く様子を見るに上手くいってるのか不安なんですかね。
最後に、人類学の抱えるジレンマとして「観察者が対象社会に対して無条件に権威を持ってしまう」というのがあります。今書いてるようなことだって練習という時間や短距離ブロックの人々を自分の知的欲求を満たすために利用しているという見方もできてしまうし、それを権威によって無理矢理正当化させてるみたいなことだってあり得る。
考え方の押し付けにならないように、対等な視点を心がけていきたいです。

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プロフィール

HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上 ゲーム アニメ
自己紹介:
筑波大学に通っております。
同好会で陸上をする傍ら学業をしています。
スポーツに関わりたいと思いつつどういうアプローチをすればいいのか模索中。
一人でいることが多いですが寂しくなんかないんだからね。

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