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筑波大生のあれやこれ。

   

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1年

あっという間に1年が過ぎてしまいました。

年をとるごとに1年の主観的な時間が短くなるという話は聞いたことがありますが本当にこの1年は早かった…右も左もわからないまま過ぎ去ってしまったような感じがします。

明日からは「1年目」という最強の盾を失うどころか、頼れる先輩が異動してしまいさらにさらに新卒の子が直下に入ってくるというこれまでの23年間でもトップレベルの「私の人生どうなっちゃうの~~~???」感に苛まれております。

1年の振り返りと申しますと、仕事面で思うことは多々あるのですが、長々と書くのも大変なので1つに限定して、この1年で自分の中に芽生えたある不思議な感情を取り上げたいと思います。それが「大学時代への憧憬」です。

いやそりゃ働き始めたら毎日が日曜日学校の中に遊園地な大学時代に戻りたくなるのは当たり前でしょってなるんですけど、どちらかというと「大学時代にもっと意識高いことしておけばよかったのかもしれない!」と思うことが増えてきたんです。

ちょうど1年前の今日、ぼくと国際総合学類という記事を書きました。自分が所属しているはずの学類を彼岸として見ているマージナルな4年間の有り様を、ありのままに書いたのですが、この1年間で最後に書いた「コンプレックス」の比重が、徐々に大きくなっているような感覚があるのです。

そしてまた同時に、これも記事の中で出てきたのですが、ゼミを思い返すことも多くなりました。目の前の書類のことしか考えられなくなっているときにふと、荒野を切り開いていくかのように議論を交わしてたあの頃は「頭使ってる」感じがあって楽しかったなぁと思う瞬間があります。ちなみに少し前にゼミの同期と飲んだんですが、みんなもわりかし同じことを考えるようです。

そして一番たちが悪いのが、今やってる仕事が絶妙に大学時代の専攻であった開発人類学と絡んでくること。そのときに、自分がゼミを通して学んできたこと、国際総合学類にいたのにしてこなかったこと、大学時代においてきてしまったものと拾おうとしなかったものが、一気に押し寄せてくる。

結果論で過去を否定するのは良くなくて、陸上同好会が生きがいの全てとも言えたあの時代の自分に、これまで辿ってきた以外の選択肢が取れるはずもないのはわかっていても、それでも、大学時代が少し悔やまれる。

今の仕事も恵まれた環境ではあるものの、憧憬と同時に訪れる違和感は、きっと大学時代にも感じていたものなのではないだろうか。もしかしたら脇道にそれることでなにか拓けるのではないか…そんなことを考えながら、2年目も頑張ろうと思います。
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説明の技術

人に説明するって難しい。
自分も人に説明する場面では色々気をつけてはいるものの、やはり改善すべき点は幾つもある。翻って人が自分や、あるいは他の人に説明している場面を思い返すと、勉強になるところもあれば「今のはわかりにくいんじゃ?」「こう言ったほうがいいのでは?」という反面教師的な部分が見えてくることもある。
そういった積み重ねをしていく中で、ある程度自分の中で人に物事を説明する上での技術が体系化できてきた(気がする)ということで、備忘録として1度書き記しておこうと思う。



■「説明」の大原則
人に物事を説明する場面で押さえるべき大原則はただ1つ、聞き手に依存する説明をしないことである。

説明というのはつまるところ話し手と聞き手のやり取りになるので、話し手の説明が無茶苦茶でも聞き手の理解力が高ければ成り立ってしまうということが往々にしてある。が、常に聞き手の理解力が高いとは限らないため、やはり話し手が丁寧に説明するべきなのは言うまでもない。

高校時代の国語教師が「大人が書いた文章を理解して、子どもにもわかるように話せるようになりなさい」みたいなことを言っていたのが結構印象に残っていて(というかこのセリフだけで国語教師志してもいいぐらいのインパクトがあった)、個人的にはこの影響が大きいので、丁寧な説明を心がけるようにしている。

しかし「子どもでもわかるように」だと汎用性に欠ける(基本的に大人としか喋らないのにこの標語では機能しづらい)ので、自分は普段「105%の丁寧さで説明する」ことを意識している。説明が足りないとミスに繋がるおそれがあるが、説明し過ぎはウザいだけで済む。とはいえ丁寧すぎてもダラダラ長くなりがちなので、バランスとしては「105%」がちょうどいいと思っている。



■情報の「差」を理解すること
さて、そもそも「人に説明する」という状況はなぜ起こるのかを考えてみると、取りも直さず「自分が知っていて、相手が知らない情報の差を埋めるため」に説明するのである。

ここでちょっと想像してもらいたい。自分と親しい友人が、別の友人との間で起こった「すごい面白い話」を自分にしてくれているのだが、登場人物が追いきれなかったり、場面や時系列が錯綜していたりでイマイチ面白いポイントに乗りきれなかった…みたいな経験、皆さんにも1度や2度はあるのではないだろうか。

ここで話し手が気をつけなければならないのが、聞き手が何を知らないのかを想像することである。
自分の脳内にある記憶や情報は、基本的には自分にとってわかりやすいように切り貼りされている。例えば友人との思い出なら、その友人の呼称や人となりといった部分は適宜省略されている。しかしそれはあくまで自分にとって最適化された省略でしかなく、聞き手にとって最適化されているわけではない。友人との思い出を人に説明する際には、聞き手が知らないであろうその友人の呼称や人となりなど、省略された文脈を補いつつ追っていかなければならない。あくまで原則は「105%」であって、説明の省略は場面が限られる高等テクニックだという認識を持ちたい。



■説明の省略ー正確さとわかりやすさのトレードオフー
省略は説明不足に繋がるリスクを抱えているが、しかしあえてガッツリ省略した説明をしなければならない場面もあり、それが省略を高等テクニックたらしめている。

例えば英語を勉強していて、"must"という単語と出会った場合。正確な意味を辿っていくと、義務という意味の他にも必然性の高い推量という意味もあるんだなとか、"have to"との違いがどうとか、1つの単語に膨大な時間を割くことになってしまい時間対効果の低下を招いてしまう。

それを見越してかどうかは定かではないが、自分が受けてきた英語教育を思い返すと、まず中学の段階では推量という意味は教えられなかった。つまり説明を省略して、あえて正確でない教え方をしていたということになる。
しかしここで正確な説明をすべきだったかといえばそうとは限らない。まずは不正確な形でもいいのでとりあえず慣れさせ、経験値が溜まってきたタイミングで徐々に正確な説明を付け加えていくというプロセスになっているのである。
これは英語よりも歴史の授業なんかを思い返すと想像しやすいかもしれない。小学校で習う明治維新と高校で習うそれとではどんな人物がどんな動きをしていたかという記述の厚みが違うが、そこでは重要度によって小学校で教えるべき範囲と高校で教えるべき範囲の切り分けがなされている。

授業などのように、1つのテーマについて継続的に説明する機会が設けられている場合には、「とりあえず簡単な説明で流れをつかませる」という手段が有効になる。「よくわからんからドラゴンボールに例えてくれ」でも全然構わない。とにかく聞き手の意識の中に土台をつくり、経験値を溜めさせるのだ。
優秀な人がやってしまいがちな誤りとして、不正確なことを言わないように心がけるあまり、説明が複雑化してしまうというのがあるが、不正確が常に不適切とは限らない。聞き手本位で考えていって、聞き手が理解しやすい流れを見極めることが重要である。

逆に1回こっきりの説明になる場合はどこまで省略すべきかというバランスが難しいが、聞き手が理解できていない説明は説明として失敗しているということを忘れてはいけない。



■空中でプレゼンを描く
よく行き届いた就活教育により「結論から喋る」というのも王道テクニックとして周知されてきた昨今、それが微妙に誤解されて「結論から切り出し始める」というウルトラCをかます人が少なくない。場面や意味合いが多少異なるが、唐突に「例の件ってどうなったの?」から話をし始められ、「何の話をしているんだろうこの人…」となって数秒フリーズすることも…ね…(明後日の方向を向きながら)

結論を先に言って印象づけて、理由の説明を付け加えていく…というのは間違っていないのだが、なぜそういうやり方をするのかといえば、「今からこういう話をします」と宣言することで、聞き手の心構えができるからに他ならない。とすれば、より重要な事は「タイトルや目次」から喋ることだと言える。

ここで以前自分が陸上同好会の卒論発表会というイベントで参考にした見やすいプレゼン資料の作り方というサイトをご覧頂きたい。
この手の話も昨今の就活エリート達にとっては今更だとは思うのだが、例えばp54~56の「目次スライドの挿入」や「現在位置を示す」などはプレゼンテーションを伴わない説明にも応用ができる。まず道筋を示し、聞き手がきちんとついてきているかどうか確かめる。「聞き手がどのように説明を理解していっているか?」を想像しながら、丁寧に丁寧に説明していくのである。
ちなみにP59の「レベルに合わせた情報量」というのは前項の話に相当する。他にも文字の強調などは、声の強調と読み替えてもいいだろう。



■説明の練習とPDCA
みんな大好きPDCA。"回す"って表現がドヤ感あってキツいというのはまた別の話。
1回説明をした/された後には、簡単にでいいので説明の良かった点や悪かった点の振り返りをするのが良い。その地道な積み重ねでしか上達はありえない。

特に気をつけたいのが自分が疲れてるときにした説明だ。経験則だが、疲れてると普段意識してることが抜け落ち、悪癖が出やすくなる。それをきちんと振り返ることで、悪癖(=改善点)を再認識でき、説明スキルの経験値効率が良くなる。

また、反復練習の継続は思考や動作の自動化につながる。みなさんも自転車に乗る練習をし始めたとき、最初はどうやってバランスを取るか考えながら必死にハンドルを動かしていたのが、いつしか何も考えずに乗れるようになり、さらには人と喋ったりスマホを見たり(※犯罪です)しながらでも自動的に自転車に乗れるようになっているという経験があることと思うが、これまで書いてきた説明の技術も、反復練習によって無意識に出来るようになる(ものと信じている)。

最後に個人的な課題を述べると、人に説明しようとする前にいちいち「ああ喋ってこうつないで…」というシミュレーションをしないと話しに行けないというフットワークの重さを治したいなと常々感じている…



少しでも見ている人の参考になれば嬉しいが、もしこの記事自体の説明がわかりづらかったら不徳のいたすところ。やはりまだまだ修行が足りない…

仕事周りのあれこれ

最近思うことをつらつらと。

■ホウレンソウってやつ
初っ端から恥ずかしい話なんですが、「なんで報告しないんだ」的な怒られ方を割としてしまったときがありまして。報連相とかPDCAとか今時幼稚園児でも聞き飽きてそうだというのに。

なんで報告しなかったかって考えると「報告する事項だと認識していなかった」っていうのがあるわけなんですよね。
例えば何をもって「仕事ができる」と言うかを考えたときに、そのうちの1つとして「何か起きたときに自分で判断・対処できる範囲が広い」というのが挙げられます。
そういうのって経験の積み重ねで広がっていくんだと思うんですが、僕がやってしまったときには似たような事例を前に見たな~という進研ゼミばりの察しによってホイホイ勝手に進めてしまった結果怒られてしまったという…

何か起きたら少なくとも管理職には都度報告するってのは言うまでもないことだと思っていたらこういうことしちゃうんだからどうしようもない。
しかしこう、根本的な話として、課や部のタスクを管理する立場にある人間が把握していない情報がある状態ってのは良くないわけで、その辺はきっちり意識しないとなぁと思った次第です。



■タスク管理
自分の手元にある仕事を管理するに当たり、意識するのは「優先順位管理」と「負荷管理」だと考えています。

優先順位管理は割と意識的にやっています。デスクに付箋を貼っておくボードを置いてるんですが、それを緊急度とかで4分割しておいて、貼る場所によって優先順位付けをする…みたいな、まぁネットでよく見るやつです。
ただ気づくと緊急タスクのところにばっかり貼っててボードが意味を成してないことがしばしばあるので、切り分け方にも技術がいるんですよね。

対して負荷管理は難しいところが多いと感じます。今抱えている仕事にどれだけの時間が必要かとか、1ヶ月先だとどれぐらいの量抱えそうかとか、そうなるとこの辺りの時期から超過勤務も已む無しなのかなとか、そういった判断がまだ甘いですね。
1年目だと全体像が把握しきれないという言い訳をするのは簡単なんですが、やはり意識しないと出来るようにはならないってことで、日頃の反復練習を心がけたいとは思っております。

それとこれは改善すべき点なのですが、人を頼って自分の仕事を手伝ってもらうというのが非常に苦手なんですよね。
自分だけでなく周りの人の負荷量もなんとなく把握して、頼ったり頼られたりして全体の負荷量をコントロールできるのが理想なんですが、周りの人がどんな仕事をどれだけ抱えているかってなかなか見えなくて、そこに自分の負荷を肩代わりさせるなんておこがましいと思ってしまいます。
また、自分の悪い癖で「自分のモノは自分のコントロールできる範囲に置いておきたい」というのがあって、自分の仕事を他の人に任せて自分のやり方と違う動きをされることに抵抗があるので、そうならないように自分の仕事は全部やりたい…みたいな。
しかし仕事である以上は成果物と受け手(お客様)本位であるべきであって、自分がどうこう言うべきではないんですよね。デスクを離れたら理解できるんだけどなぁ…



■疲れとの付き合い
周りの話を聞くと相対的にはかなり楽な職場ではあるんですが、最近多いのが自滅で疲れを溜めてしまうパターン。

睡眠不足だとやはり露骨に効率が落ちるのが実感できるので、超勤して帰りが遅くなったときはさっさと寝ればいいんですけど、どうしてもそっからダラダラとゲームをしてしまい、睡眠時間が削られ…という絵に描いたような悪循環に陥ってしまいます。

これが自分だけなのか周りもそうなのかはわかりませんが、精神的に削られた穴は精神的充足によってしか埋められないように感じられて、帰ってただ寝るだけじゃそれができない、やはり好きな人と話したりゲームしたりアニメ見たりマンガ読んだりしないと回復できない、って思っちゃうんですよね。

当然その分は身体的に削られてて、それに引っ張られて作業効率落ちて精神的なダメージも積み重なるのでどこかで断ち切らないと逃げ場がなくなってしまうんですが、どうしたものか…

これもよく言う話ですけど土日だけじゃ足んないですよね。もしくは水曜と土曜が入れ替わってくれればなんて。
年末年始はゆっくり帰省できるのでそこで癒やし溜めしときたいです。年が明けたら年度末までは息つく暇がなさそうなもんで。

役割

自分がブログ巡回をしていて一番げんなりするのが「[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。」という文言を見た時なんだけど、それを自分ちでやることになってしまうとは。誠に遺憾の限りです。

8月は本当に仕事が忙しく、それからもなんやかんやあって、ネタだけで言えば書くに事欠かない状況だったのですが、筆を取る気になれず…
酒が入ったタイミングで1回リハビリを、とは言っても出張やら陸上の大会やら色々あって何から書いたものか。ということでとりあえずは思うことをつらつらと。

自分は自分の好きなことを、というかまぁ言ってしまえばスポーツを生業として今生活をしているわけなんですが、それによってむしろスポーツのことを考える時間が減ったという悩みを抱えています。
よく「趣味を仕事にするとその趣味が嫌いになるからやめとけ」みたいな話は聞きますが、まぁそこまではいかないんですけど、ただ自分は「仕事」のことを考えて、「仕事」を熱心にやってはいるものの、「スポーツ」に結びついているのかというところまで気が回っているのかというと、素直に肯定はできないというのが現状です。

大学時代、お世辞にも熱心に勉強していたとは言えず、学ぶことのコストが莫大なものになってしまった今となってはそれをただただ悔やむ一方なのですが、それでも卒論の時期あたりはまだスポーツのあるべき姿について青写真を描くことをしていました。それが今では、確かに意義のある事業に携わってはいるものの、それがどのような効果を及ぼしているのかというところを考察できないまま、淡々と業務をこなすだけになっているような、満点を、あるいは120点を求めることをせず、合格点であれば善しとしているような…
明確に間違ってはいないから咎められず、しかし正解ではないがゆえにゆるやかに下っているような、そんな感覚を覚えて仕方がない。

まだ仕事の流れなんかも把握しきれておらず、日々の業務を十分にこなしてるとは言えないというのも反省すべき点の1つではあり、またルーティーンというのもそれが構築されるまでには様々な積み重ねがあったのであろうことも認識すべきなのですが、それでいっぱいいっぱいになってはいけないのだと思います。常に夢を見る余裕を持たなければならない。

かといって余裕があるばかりでもいけない。ここまで意識高いこと言っておいて、実のところ家に帰ってから自分を高めるようなことをできているとはいえず…
時間は常に流れてるし、漂っていれば低きに流れるというのを日々痛感させられます。抗いたければもがくしかない。

そりゃもちろん業務に追われたくはないんですけど、責務は果たすべきだろうと思います。
自分に課せられた責務がなんなのかを考え、追い求めていきたい。

なんでも安易に自分の土俵に引き寄せて考えようとするのは頭悪く見えるけど、それでもこの様はちょっとスプリントっぽいな。

オリンピック・パラリンピック関連イベントに行った話

14日に文京シビックホールで開催された「東京オリンピック・パラリンピックキックオフイベント 2020年へ夢をつなごう!」に行ってきました。
フジテレビの須田哲夫氏の司会による進行のもと、第Ⅰ部が柔道の山下泰裕氏の基調講演、第Ⅱ部が山下氏と体操の冨田洋之氏、女子サッカー監督の佐々木則夫氏、車いす射撃の田口亜希氏によるトークセッション、第Ⅲ部がオーケストラのコンサートという構成になっていて、僕はⅡ部まで聞いて(空腹に負けて)帰りました。ハイカルチャー理解できない系男子っぽくてダメですね。

山下氏の基調講演では、今までの競技人生の振り返りや、モスクワ五輪のボイコット、ロス五輪での金メダルのエピソードを振り返ったあと、オリンピアンとパラリンピアンの待遇格差などの話題にも触れ、最後には「2020を目指していく中で、スポーツの裾野が広がっていくのが理想」というオリンピック・レガシーの在り方を述べるというものでした。
ロス五輪でのラシュワン選手との決勝戦の話についても触れておられましたが、これをフェアプレーと捉えるかは『スポーツ倫理学講義』という本に書かれていた内容が面白かったなというのを思い出しました。
全体としてはやはり「スポーツ」というものに真摯に向き合っておられる方だけあるなという、大衆向けでありながらもエッセンスは織り込んである、示唆に富んだ講演でした。

トークセッションでは事前に子どもから受け付けた質問を4人に投げるという形で、司会の須田氏によって軽快に進んで行っていたのですが、このセッションにはいくつか気になる点が。
まず質問の内容が「強い選手になるためには」というところに偏っていたこと。「子どもからの質問」というエクスキューズがあったとはいえ、オリンピック・パラリンピックを競技イベントとしてしかとらえていないのでは第Ⅰ部の山下氏の講演が台無しだったのではないかなと感じました。
次に、「強い選手の育て方」というテーマでは、山下氏から「強ければ(※競技力が高ければ)いいというものではない。諸外国のように、様々なスポーツに触れる機会が必要」という意見や、佐々木氏から親の過熱化を諌める旨の発言があったのですが、「次の世代の選手をいかにして発掘するか?」というテーマに対しては、当の佐々木氏から「U14やU17といった若い世代からの一貫指導」という矛盾した発言が出てしまったこと。壇上に立っている方々の間でもいまだにこういった認識の乖離があるのは残念でした。市民スポーツと競技スポーツの間に境界があるような感覚、これをいかに取り除くかこそを語り合う場だと思っていたんですけどねぇ…
そしてなによりも恐ろしかった(こう表現する他ない)のは、司会の須田氏のリーディング。オリンピック・パラリンピックを捉えていないかのように語らせる場を作り出しているのは、そのように質問を投げかけ、話を聞き、膨らませる須田氏なのです。そういった話を、聴衆は喜んで聞いている。須田氏は徹底的に聴衆を楽しませている。おそらく、オリンピック・パラリンピックや、そのレガシー、これからのスポーツ界がいかなるものとなるべきか、そんな話よりも、トップスポーツに関わる人々の、ある意味で彼岸の話、それらの方が聴衆を惹き付ける。それがわかっているからその方向へ導く。おそらくアナウンサーとはそういう仕事なのだろうと痛感させられました。僕はシンポジウム的なものを期待してこの場に行ったわけですが、須田氏のリーディングによって実際にはかなりエンターテインメント性の強いものになっていました。まぁ確かにタイトルも「シンポジウム」ではなく「キックオフ"イベント"」なので間違ってはいないのですが…

また、印象深かった点として、田口氏がパラリンピックそのものの地位向上を志向して発言していたことでしょうか。これは非常に意義のあることだと思います。
障害者スポーツというのは競技スポーツ/市民スポーツ以上に無意識な線引がなされやすいもの(自戒)かと思いますが、パラリンピックがオリンピックの影に埋もれるとなってしまっては豊かなスポーツ社会が保障されているとは口が裂けても言えませんしね。

全体的な総括として、かなりキツイ表現ですけれども、オリンピック・パラリンピックの意義や理想像を再構築するというよりは、既存の意識をなぞって悦に入ってるという印象もなくはなかったかなと。
2020年へつなぐものが泡沫の夢であってはならない。2021年やその先までも続く夢をみんなで考えるような場がこれからもっと増えてほしいものです。

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プロフィール

HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上 ゲーム アニメ
自己紹介:
筑波大学に通っております。
同好会で陸上をする傍ら学業をしています。
スポーツに関わりたいと思いつつどういうアプローチをすればいいのか模索中。
一人でいることが多いですが寂しくなんかないんだからね。

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