自分がブログ巡回をしていて一番げんなりするのが「[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。」という文言を見た時なんだけど、それを自分ちでやることになってしまうとは。誠に遺憾の限りです。
8月は本当に仕事が忙しく、それからもなんやかんやあって、ネタだけで言えば書くに事欠かない状況だったのですが、筆を取る気になれず…
酒が入ったタイミングで1回リハビリを、とは言っても出張やら陸上の大会やら色々あって何から書いたものか。ということでとりあえずは思うことをつらつらと。
自分は自分の好きなことを、というかまぁ言ってしまえばスポーツを生業として今生活をしているわけなんですが、それによってむしろスポーツのことを考える時間が減ったという悩みを抱えています。
よく「趣味を仕事にするとその趣味が嫌いになるからやめとけ」みたいな話は聞きますが、まぁそこまではいかないんですけど、ただ自分は「仕事」のことを考えて、「仕事」を熱心にやってはいるものの、「スポーツ」に結びついているのかというところまで気が回っているのかというと、素直に肯定はできないというのが現状です。
大学時代、お世辞にも熱心に勉強していたとは言えず、学ぶことのコストが莫大なものになってしまった今となってはそれをただただ悔やむ一方なのですが、それでも卒論の時期あたりはまだスポーツのあるべき姿について青写真を描くことをしていました。それが今では、確かに意義のある事業に携わってはいるものの、それがどのような効果を及ぼしているのかというところを考察できないまま、淡々と業務をこなすだけになっているような、満点を、あるいは120点を求めることをせず、合格点であれば善しとしているような…
明確に間違ってはいないから咎められず、しかし正解ではないがゆえにゆるやかに下っているような、そんな感覚を覚えて仕方がない。
まだ仕事の流れなんかも把握しきれておらず、日々の業務を十分にこなしてるとは言えないというのも反省すべき点の1つではあり、またルーティーンというのもそれが構築されるまでには様々な積み重ねがあったのであろうことも認識すべきなのですが、それでいっぱいいっぱいになってはいけないのだと思います。常に夢を見る余裕を持たなければならない。
かといって余裕があるばかりでもいけない。ここまで意識高いこと言っておいて、実のところ家に帰ってから自分を高めるようなことをできているとはいえず…
時間は常に流れてるし、漂っていれば低きに流れるというのを日々痛感させられます。抗いたければもがくしかない。
そりゃもちろん業務に追われたくはないんですけど、責務は果たすべきだろうと思います。
自分に課せられた責務がなんなのかを考え、追い求めていきたい。
なんでも安易に自分の土俵に引き寄せて考えようとするのは頭悪く見えるけど、それでもこの様はちょっとスプリントっぽいな。
PR
COMMENT