あれからの1週間はとにかく体を休めた。ハードルはほとんどやらなかったしこれまではあんまり行かなかった銭湯に行ったりした。
文系親善当日の朝はスッキリ起きれて、日体の100倍は調子が良さそうに感じた。
しかしアップを始めるとやや脚が重い感じがして、その時に日体の2本目のアップのことがフラッシュバックして、そこそこのところで競技を迎えることにした。
スタートも前ほどには緊張しなかった。隣が速い人らしかったけど、大学に入ってからあんまり他校の人の名前を覚えたりしなくなってたので特に気にならなかった。それよりも自分の走りだけが気がかりだった。
それでまぁ、結論から言うとまた16秒かかった。
ハードルを越えるときに浮き上がって前に進めなくて、隣との差は開く一方だった。
走ってる間、自分の体を思い通りに動かせないことが悔しかった。俺はまた練習で間違えたのだろうか。
走り終えた時、まだ余裕があることが悔しかった。俺はまたアップで間違えたのだろうか。
種目間の兼ね合いで自分がクラ対を走ることになったのに、対抗200mを回避してまでこの110mHに懸けたのに、こんな走りしか出来ない自分が不甲斐なかった。
しかしこの大会には、まだこの燻った感情をぶつける先があった。
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後輩の不調から5番手の自分が4継を走ると決まったのが大会5日前のこと。4継自体そもそも1年半ぶりぐらいだったし、大きな大会でとなれば高体連以来とかになるだろう。
メンバーは奇しくも全員同じ学類。自分が1年生の時は全然いなかったのにまさかこんな瞬間が訪れるとはと感慨深いものがあった。とは言えただ走って思い出づくりというよりはタイムもそれなりに狙っていきたかった。
クラ対チームがアンダーパスなのもあったりで、こっちも急造でアンダーパスを練習したけど、時間が無い割にまぁまぁ形にはなって、本番結構楽しみだった。
当日。他のメンバーも個人の結果が振るわなかったようで、リレーで完全燃焼したいという感じだった。ただ気持ちだけ昂りすぎて早出しないようにね、みたいな話をしてた。
自分は3走。16年も陸上やってるのに4継の経験は浅い自分だけど、その中でも比較的慣れている走順だった。
1走がいいスタートを切って、2走に渡る。2走の後輩がこの日4本目で目に見えて疲れてるのはわかっていたけど、歩数詰めてたし絶対に来ると信じてスタートを切った。本当にギリギリのところでバトンの端っこを掴んだ。持ち直すので若干もたついたけど、概ね上手く渡ったと言っていい。
さすがに周りも速くて前には離されるし後ろからは迫られる。それでも自分に出来る最高の走りをして、4走にバトンを押し込んだ。渡った瞬間に思いっきり叫んで応援した。後から「めっちゃ聞こえましたよ~」って言われてちょっと恥ずかしかった。全部アドレナリンのせい。
ゴールタイムは43"83。組ビリではあったけど、最低限目標としていた43秒台を達成出来てホッとした。そしてなによりもバトンをつないだということが本当に楽しくて、思い出に残るレースになった。
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残り少なくなったレースを、どのように迎えて、どのように終えられるのか。
その瞬間にならないと答えは出ないけど、それまでは想像と準備を怠らずにいたい。
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