忍者ブログ

B-DIARY

筑波大生のあれやこれ。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あれからとこれから

あれからの1週間はとにかく体を休めた。ハードルはほとんどやらなかったしこれまではあんまり行かなかった銭湯に行ったりした。

文系親善当日の朝はスッキリ起きれて、日体の100倍は調子が良さそうに感じた。

しかしアップを始めるとやや脚が重い感じがして、その時に日体の2本目のアップのことがフラッシュバックして、そこそこのところで競技を迎えることにした。



スタートも前ほどには緊張しなかった。隣が速い人らしかったけど、大学に入ってからあんまり他校の人の名前を覚えたりしなくなってたので特に気にならなかった。それよりも自分の走りだけが気がかりだった。

それでまぁ、結論から言うとまた16秒かかった。

ハードルを越えるときに浮き上がって前に進めなくて、隣との差は開く一方だった。



走ってる間、自分の体を思い通りに動かせないことが悔しかった。俺はまた練習で間違えたのだろうか。

走り終えた時、まだ余裕があることが悔しかった。俺はまたアップで間違えたのだろうか。

種目間の兼ね合いで自分がクラ対を走ることになったのに、対抗200mを回避してまでこの110mHに懸けたのに、こんな走りしか出来ない自分が不甲斐なかった。



しかしこの大会には、まだこの燻った感情をぶつける先があった。





後輩の不調から5番手の自分が4継を走ると決まったのが大会5日前のこと。4継自体そもそも1年半ぶりぐらいだったし、大きな大会でとなれば高体連以来とかになるだろう。

メンバーは奇しくも全員同じ学類。自分が1年生の時は全然いなかったのにまさかこんな瞬間が訪れるとはと感慨深いものがあった。とは言えただ走って思い出づくりというよりはタイムもそれなりに狙っていきたかった。



クラ対チームがアンダーパスなのもあったりで、こっちも急造でアンダーパスを練習したけど、時間が無い割にまぁまぁ形にはなって、本番結構楽しみだった。

当日。他のメンバーも個人の結果が振るわなかったようで、リレーで完全燃焼したいという感じだった。ただ気持ちだけ昂りすぎて早出しないようにね、みたいな話をしてた。



自分は3走。16年も陸上やってるのに4継の経験は浅い自分だけど、その中でも比較的慣れている走順だった。

1走がいいスタートを切って、2走に渡る。2走の後輩がこの日4本目で目に見えて疲れてるのはわかっていたけど、歩数詰めてたし絶対に来ると信じてスタートを切った。本当にギリギリのところでバトンの端っこを掴んだ。持ち直すので若干もたついたけど、概ね上手く渡ったと言っていい。

さすがに周りも速くて前には離されるし後ろからは迫られる。それでも自分に出来る最高の走りをして、4走にバトンを押し込んだ。渡った瞬間に思いっきり叫んで応援した。後から「めっちゃ聞こえましたよ~」って言われてちょっと恥ずかしかった。全部アドレナリンのせい。



ゴールタイムは43"83。組ビリではあったけど、最低限目標としていた43秒台を達成出来てホッとした。そしてなによりもバトンをつないだということが本当に楽しくて、思い出に残るレースになった。





残り少なくなったレースを、どのように迎えて、どのように終えられるのか。

その瞬間にならないと答えは出ないけど、それまでは想像と準備を怠らずにいたい。
PR

曇天

金曜の夜、目覚ましを2つかけて「どうせ1つ目で起きて2つ目の音にイラつくだけなんだけど」なんてことを思って眠りについたのがしっかりとフラグになっていたらしい。

一発で起きれずに15分の二度寝を経たところから嫌な感じがあった。





行きの車では楽しく喋ってたけど、競技前アップでどうにも頭がスッキリ目覚めずぼーっとする。それにつられて体の動きもキレがない。

気がついたらいつもやらない量のショートダッシュを繰り返していた。

いつものように「後はどうにでもなれ」と天に任せることが出来ずに、どうにかしなければともがいていた。





2ヶ月ぶりのスターティングブロックはひどく緊張した。止め処なく溢れ出る不安を抑えることも受け入れることも出来ず、号砲は鳴ってしまった。

加速局面でスピードを上げきれなくて、踏切位置に合わせるためにオーバーストライドになってリズムを崩して、ハードルを"飛んで"しまって…

やってはいけないことだけを16秒間積み重ねた。ゴールした後も自分がしでかしたことに理解が追いつかず、一礼も忘れてトラックを出ていた。





朝の嫌な感じが大きくなっていくものの、置かれた状況は16"45で帰ることを許すわけがなく、2次レースに出ることを決意。

頭も冴えてきて、速いピッチで体を動かせるようにアップをし直そうと思った。けれども今度は体が重かった。動き出してもすぐ止まった。

「どうにでもなれ」ではなく「どうにもならない」と思ってしまった。





16"22。0点が赤点になったぐらいの差だった。目標にしていたタイムからは程遠い。

疲れを溜めるような生活をしていたこと、それを前日で精算しきれると思ってケアを怠ったことが敗因として挙げられるけれど、それ以上に、もっと他に、根本的に、何かこう…





次の土曜日の文系親善がラストチャンス。出来る事を精一杯やっておきたい。

追う者

明日から記録会3連戦を迎えます。



割と色んなのに出るんですが110mHだけは3連チャンです。

現状シーズンベストで3番目。2位とは0.16差と微妙な差。しかしここで記録を出さないとクラ対でハードルに出られない事になります。

そろそろ後輩に道譲ってやれよって気もしますがここは最終学年として、というよりも競技者としてやり切らなければならないだろうと思っています。



クラ対前に天王山みたいな心持ちで迎えなければならないのは追う者のジレンマではありますが、ここで勝たなければなにもないので致し方無いです。

実り多き「通過点」になれば、と。

悲劇

ipodが壊れた、というより壊しました。



先輩たちと徹夜で遊んで、帰宅後適当に服脱いで就寝。起きたあと何も考えずに洗濯機を回し、ズボンのポケットの中に…というありがちな悲劇でした。



第4世代のnanoは2008年発売、ということは6年の付き合いだったわけですね…
若干オカルトな話ではあるんですが、このipod「あー次あの曲聴きたいなー」とか考えてたらマジでその曲再生してくるみたいなことが数多くあって「コイツとは心が通じあってるゼ」みたいなことを思っていただけにとても寂しいです。



まぁやってしまったものはしょうがない。今月はちょっと厳しいからお金に余裕ができた頃に買い直そう。



なんて思っていた矢先、





パソコンも壊れました。





HDDが逝った模様。まぁこれも高校入学と同時に買ったものですし寿命なんですかね…
正直OSはVistaのまま、メモリ2GB、HDD500GB、CPU2.5Ghzなんて過去の遺物を修理して使い続けようなんて気はまったく起きず、即親に連絡しその日のうちに新しいパソコンを注文。先週木曜に届きました。



その後友人やTwitterのフォロワーさんなんかに色々聞きながら古いパソコンのHDDからサルベージ出来ないか試してみたもののどれも上手くいかず断念。音楽やらゲームやらが全部消えてしまいました…



音楽が消えたのがかなり堪えました。10年以上の蓄積があったわけだし、当時の知り合いに借りて入れた曲とかどうやって再入手しようかと…
買ったり借りたりしようものならかなりの費用がかかるわけで、今日日外付HDDなんて500GB5000円ぐらいで買えるんだからバックアップきちんととっておこうねって話なんですよね…
もうipod買い直そうとかいう話ではなくなってしまって非常につらいものがあります。



新しいパソコンはとても快適に動いてくれています。
音楽やらゲームやらはちまちま再構築していきます…

ハードリングという幻想

ガッツリ陸上の話です。
twitter連投でもいいかと思ったんですけど一応文章としてまとめることに。陸同ブログインスパイアという見方もあります。





先日、跳躍専門の後輩に110mHで負けるというなんとも不甲斐ない事態が起きてしまいました。
その時のビデオを何回も見返していたんですが、確かにハードリングは跳躍っぽくジャンプしててもったいなくはあるものの、インターバルの走りが速くてそこで取り返しているという、自分としてはなかなか衝撃的な映像でした。

その後、映像を見て受けた印象から色々と考えながら自分で走ってみたところ、ハードルに対する踏み切りのインパクトをあまり意識せずに跳んだ時に早く降りる(ハードリング動作を早く完了する)ことが出来、全体的なスピードが上がっている感触を得られました。
この感触をもとに、もう少し掘り下げて考え始めました。





5月末の筑大競の頃、「100mと同様に"加速する"」という表現を用いていました。このとき言いたかったのは「ハードルを意識して加速局面の身体の使い方を変に調整するべきではない」ぐらいのニュアンスでした。

しかし、この時「8歩分」しか考えていなかったんですね。
8歩目に到達したとき、ハードリングという動作に入る。遠くに着地するために強く踏み切り、走ってきた勢いを殺さないために前傾姿勢(ディップ)を取る、ハードルに引っ掛けないように抜き足をクリアランスさせる…
…蓋しハードル走というものは、インターバルとハードリングという2つの局面があって、それらを自然に、流れるようにつなぎ合わせるものである。というのが僕のついさっきまでのハードル観でした。





しかし後輩のビデオ、自分で走ってみた感触、そして「110mHも"走る"競技であることに変わりはない」という自分の言葉を振り返ったとき、ハードルに対して「踏み切る」という表現をすることに違和感を覚えました。

陸上競技において「踏み切る」という言葉が最も自然に表れるのは幅跳びのような跳躍種目、フィールド種目です。トラック種目であるハードルにフィールドの言葉は相応しくない。

僕は大きな思い違いをしていたのかもしれないと気づかされました。





ハードルはトラック種目で、トラック種目は走る競技で、走る競技はスタートからゴールまで一番速く駆け抜けた人の勝ち。という至極簡単なロジックに従えば、「踏み切り」などのフィールドの言葉で語られるハードリングなんて局面は本来存在してはならないはず。

今までハードリングと呼んでいたものは接地/離地という局面でしかなく、ハードル走はスタートからゴールまで徹頭徹尾「走動作」である。というのが僕の今のハードル観です。



考え方が変わったことで、どっかで読んだ「1台目のハードリングは8歩目の踏切ではなく9歩目の着地までのリズムを意識する」という話や、後輩が3歩と4歩どちらで走った方がいいかというような話もより鮮明に見えるようになりました。

「走動作」という大前提から出発して考えれば、歩数を基調として考える従来型の「ハードリングのためのインターバル」ではなく、疾走速度を基調とした「インターバルのためのハードリング」と発想を転換でき、理解しやすくなったように思います。





ここまで書いておいてなんですけど、何も言ってないに等しいぐらい当たり前というか、いちいち文章にするほどのことか?みたいなところもありますね…
特に400mHなら「ハードリング上手くなくても400m速けりゃなんとかなってしまう」というのは想像に難くない話で、110mHだって同じじゃねーのってのは類推としてはあり得なくはない。

とはいえ女子はまだしも男子だとハードルが高い(106.7cm)こともあって技術的な要素の比率が高く見えるのは事実だし、フラットレースとハードルを分かつ最大の特徴でもあるわけでやはりハードリングが特別視されてしまうわけです。ただそれが固定観念になると本質的なところを見失うのではないかと思います。



ただ、例えば初心者なんかは基本的な部分の動きから始めていかなきゃならないというのもあるし、みんながみんなこういう発想で臨めばいいということでもないです。
とりあえず最低限抜き足寝かせるぐらいはできて、そこからタイムを伸ばすにはってときにこういう考え方もあるぐらいの位置付けです。

それに何週間かしたら僕が突然「ハードリングのための特別な走り方が必要だ(キリッ」みたいなアツい手の平返しをする可能性もゼロではないことは断っておきます。





こんな単純な発想、今まで気付くチャンスは無数にあったはずなのになんで辿りつけなかったんだろうという思いもありますが、それもまた走ることの醍醐味なのかもしれません。
16年続けてもいまだにこういう出会いがあるし、そしてその瞬間がすごく楽しい。

カレンダー

08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カウンター

プロフィール

HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上 ゲーム アニメ
自己紹介:
筑波大学に通っております。
同好会で陸上をする傍ら学業をしています。
スポーツに関わりたいと思いつつどういうアプローチをすればいいのか模索中。
一人でいることが多いですが寂しくなんかないんだからね。

リンク

アクセス解析

ブログ内検索

カテゴリー

最新CM

[04/17 NONAME]
[12/21 KANI]
[12/05 200]
[04/03 ながれ]
[04/03 KANI]

バーコード

Copyright ©  -- B-DIARY --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]