ガッツリ陸上の話です。
twitter連投でもいいかと思ったんですけど一応文章としてまとめることに。陸同ブログインスパイアという見方もあります。
先日、跳躍専門の後輩に110mHで負けるというなんとも不甲斐ない事態が起きてしまいました。
その時のビデオを何回も見返していたんですが、確かにハードリングは跳躍っぽくジャンプしててもったいなくはあるものの、インターバルの走りが速くてそこで取り返しているという、自分としてはなかなか衝撃的な映像でした。
その後、映像を見て受けた印象から色々と考えながら自分で走ってみたところ、ハードルに対する踏み切りのインパクトをあまり意識せずに跳んだ時に早く降りる(ハードリング動作を早く完了する)ことが出来、全体的なスピードが上がっている感触を得られました。
この感触をもとに、もう少し掘り下げて考え始めました。
5月末の筑大競の頃、「100mと同様に"加速する"」という表現を用いていました。このとき言いたかったのは「ハードルを意識して加速局面の身体の使い方を変に調整するべきではない」ぐらいのニュアンスでした。
しかし、この時「8歩分」しか考えていなかったんですね。
8歩目に到達したとき、ハードリングという動作に入る。遠くに着地するために強く踏み切り、走ってきた勢いを殺さないために前傾姿勢(ディップ)を取る、ハードルに引っ掛けないように抜き足をクリアランスさせる…
…蓋しハードル走というものは、インターバルとハードリングという2つの局面があって、それらを自然に、流れるようにつなぎ合わせるものである。というのが僕のついさっきまでのハードル観でした。
しかし後輩のビデオ、自分で走ってみた感触、そして「110mHも"走る"競技であることに変わりはない」という自分の言葉を振り返ったとき、ハードルに対して「踏み切る」という表現をすることに違和感を覚えました。
陸上競技において「踏み切る」という言葉が最も自然に表れるのは幅跳びのような跳躍種目、フィールド種目です。トラック種目であるハードルにフィールドの言葉は相応しくない。
僕は大きな思い違いをしていたのかもしれないと気づかされました。
ハードルはトラック種目で、トラック種目は走る競技で、走る競技はスタートからゴールまで一番速く駆け抜けた人の勝ち。という至極簡単なロジックに従えば、「踏み切り」などのフィールドの言葉で語られるハードリングなんて局面は本来存在してはならないはず。
今までハードリングと呼んでいたものは接地/離地という局面でしかなく、ハードル走はスタートからゴールまで徹頭徹尾「走動作」である。というのが僕の今のハードル観です。
考え方が変わったことで、どっかで読んだ「1台目のハードリングは8歩目の踏切ではなく9歩目の着地までのリズムを意識する」という話や、後輩が3歩と4歩どちらで走った方がいいかというような話もより鮮明に見えるようになりました。
「走動作」という大前提から出発して考えれば、歩数を基調として考える従来型の「ハードリングのためのインターバル」ではなく、疾走速度を基調とした「インターバルのためのハードリング」と発想を転換でき、理解しやすくなったように思います。
ここまで書いておいてなんですけど、何も言ってないに等しいぐらい当たり前というか、いちいち文章にするほどのことか?みたいなところもありますね…
特に400mHなら「ハードリング上手くなくても400m速けりゃなんとかなってしまう」というのは想像に難くない話で、110mHだって同じじゃねーのってのは類推としてはあり得なくはない。
とはいえ女子はまだしも男子だとハードルが高い(106.7cm)こともあって技術的な要素の比率が高く見えるのは事実だし、フラットレースとハードルを分かつ最大の特徴でもあるわけでやはりハードリングが特別視されてしまうわけです。ただそれが固定観念になると本質的なところを見失うのではないかと思います。
ただ、例えば初心者なんかは基本的な部分の動きから始めていかなきゃならないというのもあるし、みんながみんなこういう発想で臨めばいいということでもないです。
とりあえず最低限抜き足寝かせるぐらいはできて、そこからタイムを伸ばすにはってときにこういう考え方もあるぐらいの位置付けです。
それに何週間かしたら僕が突然「ハードリングのための特別な走り方が必要だ(キリッ」みたいなアツい手の平返しをする可能性もゼロではないことは断っておきます。
こんな単純な発想、今まで気付くチャンスは無数にあったはずなのになんで辿りつけなかったんだろうという思いもありますが、それもまた走ることの醍醐味なのかもしれません。
16年続けてもいまだにこういう出会いがあるし、そしてその瞬間がすごく楽しい。
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