本当は任期が残ってるうちにする話ではないと思うんだけど、どこかで吐き出さないとこの胸のモヤモヤは晴らせない。
短距離ブロック長として、メニューを作り練習を引っ張る者として、競技者でありながら指導者としての視点も求められる。
メニューはある程度ブロック長の特徴が反映されている。先代、先々代は短短の選手だったから短い距離の練習が多かったけど、俺になってから(冬季練だからというのもあるけど)短長のメニューが多くなっている。他にも前例に倣うか新しいことをやりたがるかとかもあると思う。
こういったものは概して「そういうやり方しかできない」という性質のものでもある。他のやり方を求められたとしても、やはり自分の土俵の外でやろうとするのは上手く立ちいかないものなのだ。
自分の中で引っかかるのは「過程の進め方」というか、陸上に取り組む姿勢の根本的なところ。つまり求める結果に対して急進的であるべきか漸進的であるべきか。
もう少し具体的に考えると、プライオメトリクスや高強度のインターバルを高頻度でこなしていけば怪我のリスクやその後の伸びしろを擦り減らすという代償はあれど記録を大きく伸ばすことが期待出来る。もしくはフォームや練習法について根本的な理解を持った上で進めていくか。数学の試験勉強に例えると、ひたすら演習をするか公式を1つ1つ確認していくかぐらいの差。
この内自分は後者しか出来ない。前者はやろうとしても多分出来ない。自分の中の甘さや弱さを克服できないのもあり、また自分の経験からブレーキが掛かってしまうのもあり。
普段引き気味なのにちょっと熱が入ると周りに目も振らずのめり込んでしまうみたいな性格のせいで前者的なやり方をして怪我を繰り返した時期の反動で今は後者的なのんびりした走り方の方が性に合ってしまう。
走り方の公式をのんびりと理解していくやり方。多分何十年か先に健康のために走ろうと思った時でも使えるメソッド。そう言えば聞こえはいいけど、即時的な効果に関しては疑問が残る。急がば回れにしても回りすぎている。
伸びしろを潰してでも即時的な効果を求めるやり方は自分には出来ない。けれど、
大学生の、伸びしろって何?
この問いがぐるぐると頭の中を回り続ける。
そもそも大学生になっても陸上を続けていることが稀有とも言える。そしてその先に競技としての陸上を続けることはほとんどないというケースが多い。
肉体的な限界を迎えずとも、選手生命は社会的に断たれる。
だったら社会的な限界と肉体的な限界を合わせるように、無駄なく選手生命を燃やし尽くせるようにするべきなんじゃないか?
伸ばされなかった伸びしろは最初からなかったも同然なのだから。
指導者としての視点に立てば、結果を出せたかどうかによってでしか評価されない。
そしてその任期は1年で強制終了。
だから1年という短い時間の中で、目に見える功績を残したい。
という辺りを鑑みた、自己顕示欲の表れなのかもしれないけれど。
まぁでも陸上同好会という組織に限れば競技レベルの差も大きいし、高い人達は自立してやっていける能力もあるのだから、肉体的な追い込みは各自の主観に任せるのが一番丸い選択だとは思う。現実的に考えれば。
そうなると今度は自分の存在意義をどこに見出せばよいかという問題がのしかかる。
「正しいやり方」の試行錯誤はまだ続く。
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