年末に渡されたバトンを繋ぎませんとね。
月毎に辿ろうとすればそこそこ色々な思い出もありますが、1年通してずっと頭に残り続けていたことは年末に書いたこの文に集約されているように思います。
>しかし今考えると受験期の自分は「大学」というものについてなにも考えてなかったなーと思います。期待を抱くこともなく、準備を整えることもなく、ただ時 間とともに流れてくるものを捌ききっていたような、そんな感じで大学生活は流れていっていたように思います。それはそれで楽しいものでしたけどね。
高校時代の自分は色々と言っていましたが、突き詰めていくと大学で学ぶことがどういうことなのかとか、国際関係学とはどんなものなのかとか、そういう具体的なことについてはあんまり考えてなかったように思います。理想だけはいっちょ前でも、現実的な話に結びついていなかった。
だから実際に授業を受けてみて、やけに戦争の話ばっかりだったり、そういうネタについて自分が予想以上に興味がなかったり、興味がないものだとこれまた予想以上に熱の入らないものだったりということに気付かされました。それでも授業をサボってまですることもなく、結局授業には出て、出ればそれなりにノートは取ったりなんかして、淡々と捌いていくだけの日々が過ぎる。受験期に論述で培った目がそれなりに仕事をしてくれ、なんとなく要点のようなものだけはつまんで、学問として深く掘り下げることはあまりしないというような形で、テストを受け、成績が出て、なぜかそれなりに高い評価を受けてしまう。
不当に高い評価を得ると「よいこですね」と煽られてるようにしか思えないですね、思い上がりも甚だしいんですけど。そしてどんなことにでも真剣に取り組もうだとか、そんな熱意もキャパシティも自分にはないことが改めてわかりました。
反面、興味のある分野はそれなりに取り組んできました。そしてはっきりと、自分の体専コンプレックスを自覚しました。
きっと何年も前から、多分中学生ぐらいの頃にはもう、自分は勉強なんてしたくなかった。陸上がしたかった。走るだけで、走ることだけを考えて人生を組み立てたかった。しかし自分は陸上でスターになれるだけの素質には恵まれてなくて、別に好きでもなんでもない勉強のことでばっかりほめられた。好きなことで結果が出せないことが悔しかった。それを未だにコンプレックスとして引きずっていて、勉強なんかできなくてもいいから速く走れたほうがずっとよかったなんて今でも本気で考えている。なんとも女々しい話です。
なりたくてもなれない、なれないけどなりたい。そんな思いを中途半端に引きずっているから、筑波大学を選んでしまったのかもしれない。高校時代の志望動機は、実は言い訳に過ぎなかったのかもしれない。高校時代の自分が本当に行きたかったのは筑波の体専で、そこに行くだけの力がないからせめて筑波大学だけにでも行きたかった。そんなところなんじゃないか。もはや筑波ならなんでも良かったんじゃないか。そんな程度の信念で、4倍の門を通ってここに来てしまったのか、親に迷惑をかけてまで。
自分は陸上だけで生きていくことはできない。だけど陸上を諦めることができなくて、他のものは色褪せて見えてしまう。
そして極めつけに自分には状況を一変させようというだけの気概もない。そんなに体専が良かったら受験しなおせばいい、学費は自分で稼げばいい。そういう選択肢だってあるのに、ゴネてるだけで何もしない。受験期には色々とカッコつけたことを言ってたけど結局自分は4年で大学を出て社会に出るのだろう。それはきっと「社会がそうなっているから」で、自分で選ぶとかなんだとか言ってたのも全部嘘で、「大人たちにほめられるようなバカ」まっしぐらなわけで。
社会がそうなっているから大学に進学し、未練にすがってこの場所に決め、自分に出来ることの中からやりたいことややるべきことを見出すことを放棄してきた。だから「お前は筑波へ何をしたくて行ってるんだ」という問いに答えられなかった、何も考えちゃいなかったから。それでも成績の上ではよいこちゃんになってしまって、不当な評価をされる。自分なんか誰よりも志が低いのに。口で理想を言うばかりで何も行動しようとなんかしちゃいないのに。
大人の秘訣は諦めることらしい。もうわがままを通せる歳でもなくなってきたのかもしれない。甘えやプライドは捨てて割り切りを身につけなければならないのかもしれない。夢を語るのはもうやめにして地に足つけなきゃならないのかもしれない。
まぁ、悶々とこんなことを考え続けていた1年でしたかね…
自分についての理解が深まったとか言ったら聞こえはいいですけどね。遊んでたっちゃ遊んでたのかもしれないですね。
2年次ではもう少し外に目を向けて、やるべきことを探せばいいんじゃないかと思います。
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