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筑波大生のあれやこれ。

   

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独論メモ2

ネタはあるのに筆不精、KANIです。
夏休みに先生とお話した時点で2を書こうかと思ってたんですが結局延ばし延ばしになってしまいました。
先日ゼミ内での独論構想発表にてボコボコにされてきて、でもそれによって方針もかなり見直せたのでそれをメモしておきたいと思います。

独論は卒論のいわば練習として書くものですので、卒論のテーマから逆算してお話します。
僕が一番突き止めたいと思うものを限界まで単純化すると、「いかにして人はスポーツマンに「なる」のか」になります。卒論ではフィールドを中学校の運動部活動に設定し、そこで部員がどのような経験を通してスポーツマンに「なる」のかを研究したいと考えています。
その分析をするための枠組みとして、まずなにをもってスポーツマンに「なる」とするのかを定義しなければなりません。おおよそ「競技のための身体的所作の習得」「スポーツに対する観念の形成」あたりから定義できるのではないかなと予想しています。問題設定上での根幹は日本における「スポーツ観」なるものが西洋的な捉え方とは異なっていて、それがどのようにして形成・維持・再生産されるのかということにしています。
しかし、ただスポーツマンに「なる」ということだけを考えようとすると部活動以外のルート、つまり幼少期の経験だったりメディアによる影響だったりという点も考慮しなければならず、範囲が膨大になりすぎる上に資料収集も困難になります。なので運動部活動の特性を挙げることでそれをあえて取り上げる利点を示す必要もあるでしょう。ただし運動部活動での経験は学校文化なども織り交ぜられた観念形成に向かう(「運動部活動観」≠「スポーツ観」)はずなので、上手くエッセンスを抽出しなければならないのだろうと思います。ゼミではこの辺りの論理の飛躍が主に突っ込まれました。

つまり通過すべきチェックポイントは以下のようになります。
ⅰ)西洋と日本のスポーツに関する歴史や観念の比較から、「日本型スポーツ観」なるものを定義する。
ⅱ)運動部活動の歴史を辿り、その機能や特性を記述する。
ⅲ)部員が運動部活動での活動を通して得た経験がⅱ)で記述した"フィルター"を通してⅰ)で定義した観念にいかにしてつながっているのかを民族誌として記述する。
この内、独論ではⅰ)だけをやろうというのがこの前のゼミで導かれた結論でした。独論は卒論の練習として、応用の効くようなおおまかなフレームワークが作れれば良い、という先輩からのアドバイスもあったので。

スポーツは西洋で生まれ、日本に運ばれてきたときにその風土に合うように読み換えがなされました。その読み換えがいかなるものだったか、そして現在いかにして再生産されているのか。それがⅰ)でやるべきことになります。
おおよそのやるべきこととして
・西洋でのスポーツ誕生と、日本での受容の歴史をたどる
・現代における再生産の過程を探る
・スポーツ観形成に関わる様々なアクターの特徴を挙げる
というあたりをやっていけばいいのかなと思っております。

12~1月にかけて負荷がかかる一方なんですが、まー軽い気持ちで構えていきたいです。
真面目に真剣にやりつつ、でもいっぱいいっぱいにはならずに、隙や甘えとは違う余裕みたいなものを持っておけたらいいよな、と思います。

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【独論メモ2.5】
ゼミでの構想発表を迎える何週間か前に同期で自主ゼミをやって発表練習をしています。というか自主ゼミでみんなと相談しながらなにをするか方向性定めてからゼミでの発表につなげるみたいな感じになってます。
自主ゼミでは自分の興味の変遷から研究内容を決めようとするみたいなカジュアルなアプローチもしてたりして、それを聞いて自分に投影してここ最近思ったことをついでに書いておこうかな思います。

研究テーマの概形を決めた時点から「どうしてこんな"国際"っぽくないことしてるんだろう」という自問自答が常にあります。というか自分は入学当初から少なからず学類迷子と揶揄していたように体専や社学みたいな他の学類に対するコンプレックスが事実としてあったし、テーマを見てもフィールドワークという内在的視点を入れようとすることでかろうじて人類学のていを保っているように見せかけてるだけで、観念がどうこうとか構造に関する超越論的な分析なんてまんま社会学っぽいじゃねーかってところにコンプレックスが見え見えなわけです。
でも色々思い返してみると、自分の大学に入ってからの軌跡がちゃんとこのテーマにつながっているような気がするんです。

僕自身はあんまり熱心な学生というわけではなく、興味関心によって手心を加えてしまう科目がないとは言い切れないんですが、印象に残っている授業、とりわけ研究テーマ設定にもつながっていると感じる授業が3つあります。
1つ目は社学開設で自由単位として取った労働社会学。実はシラバスもほとんど見ずに名前だけで適当に取ってしまった授業で、オリエンテーションでも「なんか思ってたのと違うような気もするけど先生面白そうだからいいか」ぐらいの気持ちでした。内容は「日本型雇用システム」に関するもので、「諸外国と比較して日本のシステムが特殊であるという論法でもいいんだ」というのがわかったことは「国際で卒論を書く上では外国をフィールドとして設定しなきゃならないのかなぁ」という漠然とした不安を抱えていた自分にとって大きなインパクトがありました。「日本型スポーツ観」という書き方にまんま影響が出てますねw
2つ目は国際開設の文化開発論という授業。教科書で取り上げられていた事例に「ご当地アイスクリーム開発の過程における住民の価値観変容」みたいな話があって、人々に寄り添った厚い記述というやり方があることを知りました。フィールドワークの方針を固める上で参考になる部分が大きかったです。
3つ目はゼミの先生が担当している地域開発論という授業。内容は途上国開発に関するものだったんですが、そこで学んだエンパワーメントという概念が陸上同好会の練習において類似した形で見られるというのが決定的な瞬間だったように思います(以前共同体開発という記事で詳しく書きました)。彼らは競技場という場で、選手として「生きる」ための所作や観念を身につけていっているんだという視点が今の研究テーマの根幹につながっています。

テーマは一見国際っぽくないけど、でもこのテーマに辿り着くためには体専でも社学でもなく国際に来てこれこれの授業を受けていなければならなかった。それに陸上競技部ではなく陸上同好会に来て短距離ブロック長を務めていなければならなかったし、もっと遡ろうとすれば今後書く上で日本学的な話が絡みそうなんですがそうなると受験で日本史を使ったのだって生きてくるかもしれない。要するに今ここに在る自分にしかこのテーマに辿り着く事は出来なかったんです。
まさかこれまでの人生がこんな形で繋がるなんて不思議なものです。結果論だし一応上手くいってるからめでたしめでたしみたいに言えるわけですが。まぁまだ終わってませんけど。

最近色んな形で大学に入ってからの年月というものを思い知ることが多いです。思い返せば自分は国際のきらきらムードに上手く馴染めなかったし留学もしてねーし英語も得意じゃねーし基本的に陸上に明け暮れるばかりの中学生の焼き直しみたいな大学生活だったし…みたいなコンプレックスがあって、それを完全に消すことは多分出来ません。それでもそれなりの2年ちょっとという年月があったわけで、卒論というのはそういった年月の結晶、集大成の表現としてあるのかなぁと思います。
まぁ学生として出来る最後の自己表現ですから、完全燃焼出来たらいいですね。
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プロフィール

HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上 ゲーム アニメ
自己紹介:
筑波大学に通っております。
同好会で陸上をする傍ら学業をしています。
スポーツに関わりたいと思いつつどういうアプローチをすればいいのか模索中。
一人でいることが多いですが寂しくなんかないんだからね。

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