20歳を過ぎた「大人」、ましてやそれなりにハードルの高い入試を乗り越えてきた人間なんてのは放っておいても勝手に学んで成長しているものなのだから、「ワシが育てた」みたいな意識は傲慢以外の何物でもないという自戒を念頭に置いて。
11月末にサークルの代替わりがあって、2つ下の代が幹部代になりました。
2つ下ということは自分が幹部だった時に入学してきた代、自分が作った練習メニューから大学の陸上競技というものに触れた代なわけで、時の流れの速さを痛感するとともに期待と緊張が入り混じったような思いで練習に参加しています。
自分の作ったメニュー、やってきたこと、喋った内容なんかが少なからず彼らに影響を与えているんじゃないか…なんて、それもまた傲慢な思い込みではあるのか。
ブロック長の引き継ぎ資料を作るに当たって意識したこととして、「もしも大学から陸上を始めた所謂"素人"がブロック長になったとしても1年間回せるように仕立てあげること」がありました。
まぁ陸同は少なくとも高校からやってる人が9割以上占めてるのでほぼ有り得ないとは思うんですが、やはり同好会という性質上、確率もゼロではないということで。
年間を通してのマクロなイメージから始まり、メニュー単体のミクロな解説にしてもどういった意図からこれをやるのか、どのようにやれば上手く実施できるか等々、「思考回路」を作るための一助となるようなことを書くように意識していたように思います。詳しい内容はもううろ覚えなんですが。
あとはまぁ、「同好会」としての練習とはどうあるべきかを考えて組まなきゃいけないね、みたいなことも書いたと思います。やっぱりみんなアレコレ考えちゃうし、語りたくなっちゃうんですよね。
しかし今になって思えばこれを書いたのは正解だったのか間違いだったのか…というのも、これは"理念"に関わる話です。素人がブロック長として回せるための"仕組み"を作る、という当初の意識からは逸脱した話なわけで、要するに一言余計だったのかもしれないと。
どうあるべきかという理念はその代が決めるべきことで、そこにまで口を出したらそれこそ老害だ。
話は前後してしまいますが、僕の個人的な意見として代替わりは何があってもするべきだと思っています。たとえその代にメニューを作れるとは思えない素人しかいないとしても、です。
技術や知識が少ないとか練習に来る頻度が少ないとかいう問題は周りで支えて解決できる話だと思っているので、そういった点を引き合いに出して代替わりをしないというのはなるべくないほうがいい。というかもしもそいつが役職を回せないとなったらそれは引き継ぐ側の落ち度だと思ってます。とにかくそいつに立場を与えてやれば、環境が人を変える、んじゃないかなぁ。
代替わりをすることの大きな目的は、その役職に就いた1人の人間がソレコレはどうあるべきかという答えの定まらない問題について何か1つの答えを出す機会を与えることだと思っています。メニュー作りだなんだってところは一番目につくところではあれど、一番重要なのはそこじゃない。
答えを出すための過程で悩みすぎて潰れないようにある程度の道標を示しつつ、答えそのものはきちんとそいつに出させるために余地を残しておく。それこそが後進育成としての理想の形なのではないかと思います。
その代ごとに何らかの答えを出していって、それに伴って組織の在り方も変わっていく。
それが自分の出した答えと大きくかけ離れていくと、手元に引き寄せようとするために口出ししてしまうのかもしれない。そうやって老害になっていってしまうのかもしれない。
変化していくことが常に無批判に肯定されるものではないのでしょうが、少なくとも1つの価値観に縛り付けられたままよりもマシなのは確かなことだと思います。
後進育成なるものに携わったのなら、その"後進"が悩み抜いた末に答えを出したとき、立派に自立して見せたときには、静かに認め、ついていくべきではないでしょうか。
もし口出しすることがあるとすれば、潰れそうなときか、悩むことを放棄してるときぐらいでしょう。
ここまで書いてみたけど、はてさて自分はこんな上手いことできていたんでしょうか。
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