昨日の話のオチは妥協礼賛な自分の考えの正当性を声高に叫んでるところだったのかもしれない。
ということで寝てる間に思いついた昨日の続き。
スポーツは本質的に他人との優劣をつけるために技を競うものであるという話もありまして、そうである以上競技スポーツを行うコミュニティ自体がメリトクラシー(能力主義)に支配されるとまではいかないにしろある程度そういう面を備えなければならないのは当然っちゃ当然なんですね。勝利というのは敗者の屍の上に成り立つものだし、コミュニティの内部でさえレギュラー争いというような形で勝負は起こり得るものです。
陸上は数字というわかりやすいもので結果が出ることが魅力でもあり危うさでもあって、実力が顕在化してしまうことで構造を実感としてモロに食らってしまうんですよね。それによってメリトクラシーから疎外される人が必ず出てくるわけで、そういったケースにどう対処するかについて ⅰ)コミュニティそのものから排除する か ⅱ)メリトクラシー以外の価値によって正当化する の2つの選択肢があるのではないかと思います。前者を選ぶのがプロスポーツ集団ですね。
メリトクラシーのもとでパフォーマンスを追求していくと、その先で「なぜここにいる"私が"それをするのか」「なぜここにいる"彼と"それをするのか」みたいな存在論っぽい?話にいずれ行き着くのではないかと思います。
例えば「リレーメンバーって"私"じゃなくても、同じように足の速い"私のような誰か"でも代用できるんじゃないの?」みたいな、人々のまなざしの方向が人格ではなくて数字とか能力に向かってしまうということです。
新歓期あたりはそれが顕著で、「~~が出来る人に入って欲しい」なんて言葉はよく聞きます。じゃあその「~~」が別に出来るってわけじゃない人の所在はどこに求めればいいのよって話ですよね。
そこで「妥協」とか「努力」という言葉を上手く使うことによって人々をリーチングする必要があるわけです。「今ここにいる"私が"・今ここにいる"彼と"・(客観的に見て)最高のパフォーマンスを発揮するのだ」という形で主張することになるのですが、やってることは要するにメリトクラシーへの無理やりな包摂です。リーダーに強烈なカリスマ性があって構成員をうまいことトランス状態に落とし込めるならそれで上手くいくんでしょうけど、結局は堂々巡りなんですね。
よしんば客観的に見て必ずしも高いパフォーマンスが発揮できなかったとしても事後に論理をすり替えていきなり過程がどうこうみたいな話をし始めるから便利なものです。
ただ組織運営のことだけ考えると画期的なやり方もあるもので、コミュニティの内部にさらに小さなサブコミュニティを作ってしまって、そのサブコミュニティを先述のⅰ)の論理で突き動かすというのもあるようです。サブコミュニティから疎外されても元のコミュニティが受け皿になってくれると。
しかしこれは対処療法的なもので根本的な解決になっているわけではありません。受け皿となる元のコミュニティはⅰ)とは異なる論理によって運営されなければこれもまた堂々巡りになるわけです。
根本的な問題は「メリトクラシー"への"疎外」にある人たちをいかに救い出すかということにあるのですから、ⅱ)を追求しなければなりません。
ここまで書いておいてなんですが、メリトクラシーと異なる価値というのは想像以上に多様なものです。それこそ地面を踏んで景色の移り変わりを眺めることに楽しみを見いだせる人もいたり。文章におこすだけ無粋な世界があるのでしょう。
それに僕自身が考えてるよりも精神的に芯の強い人が多いもので、今現実に勝者たりえなくてもメリトクラシーの中に自らを投げ込める人もいるんですね。実際それで絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んでいく人もいて、それは素直に尊敬すべきだと思います。
最終的には自分で拾い上げて納得できるかどうかになってしまうため、コミュニティとして働きかけられることがあるとすれば出来るだけ多くの視点・アプローチを与え続けてその中で気に入るものを選び取ってもらうことぐらいなのかもしれません。ここまで来てこんなふわふわしたことしか言えないのが不甲斐ないですけど。
まぁそうですね…本当にスポーツの本質が競争にあるのかを疑えばいいのかもしれません。他人と優劣をうけるのとは違う形で欲求を昇華させるような生き様があればそれこそがオルタナティブ足りえるはずです。だからこそ為末も禅みたいな東洋思想に答えを求めにいったのではないかなと。
だんだん文章としての落としどころがわからなくなってきた。
要するに今ここにいる"私"や今ここにいる"彼"という存在がメリトクラシーに根拠を置く構造から自由なあり方によってアイデンティファイされた方が救いがあっていいよねって話がしたかったのかな。
逃げ道があることを知らないのと、知っている上で何かを選び取ることには大きな違いがあるので、頭の片隅にでもなんらかの理解を置いておくことは大事なのかもしれませんね。
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