ソーシャルネットワーク―SNSと解釈して良いだろう―によって変わる生活、それは「所与からの逃避」である。それを2つの例を通して考察する。
1つ目は環境的所与からの逃避である。例えばtwitterのフォローやmixiのマイミクは他人との関係形成が能動的且つ簡単にでき、自分に都合のいい 環境を手軽に作ることができる。しかしそれに順応すると、学校や職場のような受動的且つ自分に都合の悪いことが起こりうる環境への適応力を欠き、コミュニ ケーション障害を引き起こす可能性がある。
2つ目は自己への所与からの逃避である。インターネットでは我々は外見を隠すことができ、また、能力的なコンプレックスもある程度克服できる(学校での成 績が悪くても、あるゲームのスキルが高ければそのゲームをやる集団の中では優秀と呼ばれるなど)。SNSにおけるコミュニケーションもそういった性質を活 かすことができ、さらに自己紹介やアバターを都合良く演出することで理想的な自分像でもって他者と関わる事ができる。オフラインで指摘される自己の欠点 が、オンラインでは無き物になる。そうなれば後者の方が居心地良く感じられてしまうのも無理はない。
我々はソーシャルネットワークによって変えようのない所与から逃避し、ユートピアを構築することができる。しかしそれは同時に実存の喪失でもある。ソー シャルネットワークを「社会的なつながり」と直訳したとき、SNSのようなサービスの発達に伴って衰弱してくる「オフラインでのソーシャルネットワーク」 に注目しなければならない。それは望まずとも与えられた現実を―欠点も不確実性も―引き受けた上でなされるもので、それこそが第一の現実なのである。
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