僕は400mHをやめます。
これを言うのに、この一言を紡ぎだすのに、どれほど迷ったことか。
でももうメニューが終わった後の自主練でだいたいの答えは出ていたんです。来季は110mHをやります。サブ種目は多分200mです。400mからも400mHからも遠ざかりたいと思います。
理由は色々ありますがハッキリ言ってしまえば「400m走るのがしんどいから」です。
2年前は負ける気がしなかった短長で去年はボロボロに負け、そして冬練でも改善の兆しは見えず、正直今は勝てる気がしなくなってしまった。
まぁ冬練で短長にこだわった練習をしてたかと言われるとどうなんでしょうね。練習メニューはこなしてたつもりですが他の短長の人達がメニューをやらずにインターバルを多めにやっていた辺りを見ると足りなかったのかもしれません。相対的にはという領域を越えませんが。
カッコ悪いのは重々承知の上です。
少しの負けで拗ねて投げ出すのもそう、負けたことに悔しさを見せず執着しないで他の道へ逃げ出すのもそう、別の種目なら上手くいくだろうと高をくくっているのもそう。凡そ他人から受けるであろう罵倒はシュミレート済みです。
400mHに未練がないといえば嘘になるかもしれない。ちょうど110mH(80mHも含め)をやった時間と400mHをやった時間はどちらも5年ずつで、400mHがより直近の記憶になるのでそっちの思い出のほうが鮮明なわけで。高校時代の先輩に憧れてたこととか、最後の高体連で全道に行けなかったこととか。
でもそんだけ思ってもまだやってやるとかそういう気持ちに至らない。
「しんどい」の方が強い。
逃げ道を作って自分を納得させるのが上手すぎるな。
逃げだと言うのもわかるけど、じゃあ芽のないことにすがり続けて物語が得られたらそれで満足なのかとも思うわけです。
話を整理すれば一応自分の中では400mHよりも110mHの方が芽があるという見込みがあって、でも情緒的なわだかまりを解消できないというだけのことですが、じゃあ情緒に流されて相対的に見込みが無いと踏んでいる方にすがって結果的に負けても情緒的なものを引き合いに出してなし崩し的に納得してめでたしめでたしみたいな。そういう展開もアリかもしれないけど本当にそれでいいのか、より可能性の高い方に懸けるほうが合理的なんじゃないか。
110mHでホントにどうにかなるのかというところで話が元に戻るんですけど。
逃げだというのもある意味では正しいし、合理的な選択だというのもある意味では正しいのではないかと思います。というか、結局終わってからでしか測れない。どちらにせよ終わった時に後悔と納得が得られるんだろうし、物語としてこじつけることもするんでしょう。
とはいえやはり自分の選択は他人から見れば大いに軽蔑されるべき選択だとは思います。逃げというネガティブな部分が色濃く映っている。それでも結局この選択が今のところは最も自分を納得させられる選択なんです。
何かを選ぶことは他の何かを選ばないこと、というのもすでに過去の自分に言われてしまいましたが。せめてこれからやるべきことといえば、選ばなかったことにいちいち思いを馳せずに選んだことをただまっすぐにやり遂げることなのだと思います。
短長人間というレッテルに葛藤し、思い出を捨て、逃げたと言われ…それでもなお僕は400mHをやめる。110mHをやる。
そういう選択をしてしまった。
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