最高のレースだった。
目覚ましより1分早くスッキリと起床。と言っても競技開始が遅かったので行きのバスでまたぐっすり寝かせてもらった。
着いてからご飯を食べて軽くストレッチ。体には程良い緊張が走っていて、感触は悪くなかった。ただ内転筋にだけ緊張が行き過ぎていて、後輩にテーピングをしてもらった。これがなかったらまともに走れなかったと思う。
その後も緊張感を切らさないようにたまにストレッチをしたり、他の競技で号砲が鳴る度に自分の走りをイメージしたりした。完璧なスタート、完璧なリズムで、1582より速いタイム、拳を突き上げて叫ぶ自分の姿まで。
トラックにハードルが置かれて、競技前練習になった頃から視界が変わった。五感が収斂される。もう自分のレーンしか見えない。自分の走りしか考えられない。
あまりにも自分のことしか考えられなくて、いつもなら自分が走る組の選手紹介は全ての選手に拍手を送るはずが、それさえも頭から抜け落ちていた。
スタブロに足を着くとき、「最後のスタートだ」と思った。最後、これっきり、もう訪れない、最後のスタート…
最高のレースだった。
完璧なスタート、完璧なリズムで、
10台目を越えて、
トラックに脚を掴まれた。
って書いたら、格好がつくとでも言うのだろうか。
10台目を越えて、着地した瞬間バランスを崩した。何が起こったのかわからなかった。何が起こったのかわからないまま次の瞬間には地面に手をついて転がるビジョンが見えて、そうならないようにするので精一杯だった。バラバラの姿勢でゴールへ向かい、悪あがきのトルソー。
16”18(-0.7)。
最高に惨めなレースだった。
ゴールした後にいたのは、起こった出来事に理解が追いつかないまま、頭を抱え、喚き立て、地面にうずくまる自分だった。想像とは程遠く、ただただ惨めだった。
荷物を取りにスタート地点に戻るとき、呆然とはしていてもすれ違う人と会話するぐらいの余裕はなんとか保てていた。着替えながら一緒に走った後輩のペースに引っぱられて喋ってたら泣く暇もなくて助かった。
唯一褒める点があるとすれば、全体8位での1点を死守したことだろう。
なんにせよ入賞したのだ。去年は対抗で出て得点出来なかったのだから今回の順位は手元に残った賞状でもって誇るべきことなのだ。
そりゃあ周りの人は「おめでとう」って言ってくれるし、それには「ありがとう」と返す他ない。
たとえ自分がそう思っていなくても。
帰りのバスで寝ても、飯を食っても、酒を飲んでも頭からは消えない。1人になった途端に絶えずフラッシュバックしてくる。失敗した。最後を飾ることが出来なかった。
みんなが言うように力が入りすぎたのだろうか?組トップだったから?最後の走りと思ったから?
それとも自分の甘さが出たのか?調整の時点で、いやそれよりももっと前の、練習のときの様々な場面で、足りないものがあったのか?
もしくはまだ最後と言わせないというカミサマの計らいか?
すぐこういう言い方をしたがる自分に吐き気がする。
本当に走り終わってすぐこんな事を考えてしまっていた。こうやって空白の未来に逃げ込んで、明確な終わりをイメージしないまま「いつか」とだけ言っている。
そうやっていつまでもやめられないままでいたのに。
じゃあifの完璧なレースを悔やんでドヤ顔を作れば溜飲が下がるのか、無気力な自分をアピって誰かに構ってもらえれば満足するのか、それとも文章に叩きつけてレトリックに酔っていれば消化出来るのか、そうやって自分のやることなすことにメタから文句を言えば気が済むのか…
最高に惨めだ。感情の行き場がどこにもない。10台目を着地したあの瞬間に心が縛り付けられたままだ。
敗者は何をしても絵にならない。
本当にこれで終わりなのか…?
自分史上では最高の失敗が、もしも世間ではありふれたものなのだとしたら、どうやって折り合いをつけたらいいのか教えて欲しい
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