久々に顔を出したと思えば、弱音を吐きに来ただけなのです。
結論から言えば、筑大競で負け散らかして、クラ対の対抗枠を逃しました。今年はOPで出ることになると思います。
文系が終わった後にレポを書かなかったのは、サボりを発症したためでもあり、
陸同ブログに一般向けなそれらしいことをだいたい書いてしまったためでもあり。ここに何か書くとしたらもっと内面的なことを書くことになるだろうと思っていたのですが、それがとても文章に出来るようなものではなかったのです。
その原因はバトンを落としながらもアンカーで組トップに立つという華々しい展開で終えたスウェーデンリレー、の、そのまさにアンカーのラップタイム。何回測り直しても54秒かかってた。アンカーは距離が長いからなんて言い訳をするだけ虚しい、ただただ突き刺さる、去年の自分を越えられないという現実。
文系親善が終わった後、その2週間後-つまりこの3連休-に、学祭とかぶっている筑大競で400mHに出るため急ピッチで練習をしてきました。この時110mHの対抗枠も僅差で自分が2番目に位置し筑大競で先輩に抜かれれば110mHではクラ対に出られなかったという状況でしたが、筑大競では110mHに出場しませんでした。学祭のスケジュールとの被りを避けたのもあり、また先輩を押しのけてまで110mHを走るという選択は、大差がつくのであれば一考に値するものでしたが0.06秒差などではそんな気は起きませんでした。結果として、それまで僕と0.06秒差で3位だった先輩が僕に0.06秒勝ってクラ対の枠を勝ち取りました。
自分の中ではやはり自分の職分は400mHであるという自覚があったわけですが、それと同時にフラットで去年より走れてないのに去年よりボーダーの上がった400mHの対抗枠を勝ち取れるのだろうかという思いもありました。
文系親善が終わった後に、筑大競を迎える前に、自分が何も書かなかったのは、言い訳を形にしてしまいそうだったから。
形にしてしまいそうだったからやめただけで、ぼんやりとしたままのそれは確かにあった。
認めたくないと頭を振っても、数時間前の自分はやっぱり、言い訳を用意してからスタートラインに立っていた。
それがすべて。59"43という結果に現れたすべて。
もともと勝ち負けや結果はすんなり受け入れてしまって、「あの時ああしておけば」みたいな後悔はあまりすることはなく、いつもおおむね自分の実力はどんな形であれ発揮しきっていると思っている。ただ、今回はその「形」が大事な試合だったのに、それに執着する心さえ失ってしまっていて、走り終わった後の自分は怒りも悲しみも何もなく、本当になんの感想もなく、事前に用意した言い訳をリピートしているようなものだった。
それでもなお後悔をするとすれば、今年の自分は陸上というものに真剣に向き合ってこなかったのかもしれない。
他の趣味や予定を優先して練習に出なかったことが3回ぐらいはあった。夏はドイツに行ったりもした。それは陸上という観点からすれば真摯でない態度だけど、別の観点で見ればそれは自分にとって走ることとは異なる次元の楽しみや関係性を持つものであって、そこで生まれる喜びも自分の中では大切なものだと思っている。
しかし、中学の頃の恩師は「勝つためには人並みの楽しみを犠牲にしなければならない」とおっしゃっていた。自分はそんな人並みの楽しみを見てしまって、追いかけてしまったから、その時点で競技者ではなくなってしまったのかもしれない。
少なくとも競技場にいる間は陸上のことを考え続けてきたつもりだった。ただそれも「つもり」でしかなかったのかもしれない。自己満足で完結させてしまって、本当は何かが足りていなかったのではないか。400mを走っている時、ラスト100mの、まさにそのとき足りない何か。その何かのために、見つけてしまった楽しみを犠牲にするだけの覚悟が自分にはない?
僕の2012シーズンは最後の大会を残して、気持ちの上ではすでに終わってしまっているのかもしれない。
今は人に何かを期待されながら走ることをしたくない。
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