最近為末大さんと南直哉さんの『禅とハードル』という本を読みました。内容は為末さんが競技の中で経験した「フロー」とか「ゾーン」とか呼ばれる体験が禅のそれに近いみたいなスピリチュアル(一般的な感覚で言ったらこう表現しても差し支えない気がします)な話とか、為末さんの人生観を禅宗の視点から捉え直すという感じでなかなか面白かったです。
まぁ本は面白かったんですけど、最近為末さんの書く文章を読むと色々な感情がわき上がってくるのに気づきます。
その大部分は「共感」です。言ってることが理解ではなくて共感という形で「わかるなー」と思う瞬間が結構あります。自分も長いこと陸上をやってきて、またその大部分においてハードルをやってきた身であるという点も相まってこういう同一視が起きるのかもしれません。
他はこの共感に起因するものなんですけどこれがなかなか厄介で、「なんで同じようなこと考えててもこの人が言うとすごく聞こえるんだろうなー」という「嫉妬」だったり、「いやいや自分がしてきた経験なんてレベルが違いすぎるし共感なんて自分がそう都合よく思い込んでるだけでしょ」という「卑下」だったり…なぜか素直に読めずにそういうノイズばかりが溢れてしまいます。
陸上よりは短いですが、それでもこれまた結構長いことネット上に文章をつらつら書いてきた身としてはこういう「なんか普段考えてたことを言語化したら共感してくれる人がいておかげで飯が食えます」っていう状況そりゃー憧れるわけです。「あー今すぐウチに爆弾落ちねーかなー」ってぼやくのと同レベルのどうしようもない文句なんですけど。
一応自分だってそれなりに自分で面白いと思ったテーマについてそれなりに自分でオモシロイと思った表現を使って頑張って書いているつもりではあるんですけど、かたや書籍化、かたや1桁PV/日…というのは更新頻度とかレイアウトとか自助努力が足りてない面もありますがやっぱり説得力というか深みみたいなものが違うわけですよね。かたや世陸メダリストでかたや普通の大学生だし…
って、思ってしまうあたりちょっと権威主義的なところがあるような気がします。内容そのものというテクストよりも言ってる人の背景や属性というコンテクスト(ちょっと言葉の定義が曖昧なんで詳しい人に見られたら叩かれそうな書き方なんですが、文脈とか状況というよりむしろ話し手にフォーカスした意味合いで書きます。他に適切な言い方があるのかもしれませんが…)の方が重要という。先に述べた嫉妬や卑下もそういうところに根っこがあるような…そもそもテクストも伴ってねーだろって話になり、いやいやそう感じるのがコンテクストの影響受けてるでしょっていう堂々巡りになってしまうんですけど。
しかし考えてみるとコミュニケーションって全般的にテクストよりもコンテクストに依拠してるものなのかもしれません。特に日本はハイコンテクスト文化と言われるのでそれを強く意識してしまうのではないかと思います。
普段の会話とかでも「こいつの言うことじゃなー」なんて言って話半分に聞いたり、逆に偉い人の話だと内容的にはふわふわしてても「なんかすげぇ(ただしふわふわしてる故に「なんか」を具体化出来ない)」と思ってしまったり…話し手の意図が聞き手に伝わって初めてコミュニケーションとして成立するわけですが、案外客体化出来るテクストの部分がストレートに伝わってることって少なくて、コンテクストによる歪曲や間引き、誇張を加味しなければならないんですね。
コミュニケーションにおいて論理性やデータによる裏付け等でテクストを充実させることも手ではありますが、それと同じぐらい、もしかしたらそれ以上にコンテクストの充実も大事なのかもしれません。政治系の授業で「統治のために権力闘争としての政治がある」みたいな感じの話を聞いた気がするんですが、立場がモノを言うってのは自分自身短距離ブロック長になる前/なった後で結構感じてた部分ではあります。終わったから公にするんですけど。
そう考えるとゴマすりとか役職争いみたいなえーって思うような行為も不必要と言い切れるものではないのかなと思いますが、じゃあそういう方向性じゃなくてもっと真っ当にコンテクストを充実させるにはと考えると、やっぱり実績を積み重ねることなのかなぁと思います。営業利益がどうこうみたいな客体化出来るものでもいいし、人知れずゴミ拾いしましたみたいなささやかな努力でもいい。目の前にある課題を淡々と、確実にこなしていって、1.01倍でも自分を高められる行為を積み重ねていくことで信頼を得て大きな問題に取り組めるようになるのではないかなと。最近「新入社員は合う合わない言う前に"素振り"をしろー」みたいなやや前近代的な話も聞くんですが、下積みを軽視すべきではないという点では納得ですね。
まぁ目の前にある課題の倍率が低いのばっかりという時にはエイヤッと困難な状況に飛び込んでいく必要もあるのかもしれません。それを考えるとアツいベンチャー企業とかが謳ってる「圧倒的成長」とかいうポエミィなフレーズもちょっと理解できる気がします。
言葉そのものというのは案外薄っぺらくて、それ以前の積み重ねが厚みを持たせてくれるのでしょう。
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