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  <title>B-DIARY</title>
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  <description>筑波大生のあれやこれ。</description>
  <lastBuildDate>Tue, 19 Sep 2017 15:23:49 GMT</lastBuildDate>
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  <copyright>© Ninja Tools Inc.</copyright>
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    <item>
    <title>2018年9月に100mで11&quot;68を出すぞプロジェクト</title>
    <description>
    <![CDATA[桐生が9"98で走ったからなのか、日曜日に走った記録会で12"62とかいうコメントのしようもないタイムで走ってしまったせいなのか、古巣の応援に行って刺激を受けたからなのか、壊れきった生活リズムを戒めるためなのか、おそらくこれら全てが引き金となって「100mで自己ベストを出してぇ！！」なんてことを思ったんですよね。<br />
<br />
手始めに懺悔から始めると、去年の下半期ぐらいから私生活は乱れに乱れて、帰ってきたらソシャゲを周回し、日付が変わって結構経った頃に寝て、ギリギリの時間に起きて朝飯を食わないことも多々あり、昼はラーメンを貪って仕事が終わると最初に戻り&hellip;みたいなことになっていました。<br />
走るのも月に1,2回とかで、完全に心が離れてる状態でしたが、大会とかに誘ってくれる先輩がいたので首の皮1枚つながってるみたいな。<br />
<br />
自己ベストを出してぇぞということで、まずは目標となる大会を決めないことにはピークを合わせることも出来ないので、とりあえずは例年9月頃に開催されている東京マスターズ選手権を目標としておきます。まだマスターズっていう歳でもないんですけど、いずれこの場で走るかもしれないですし、記録会とかだと合わせに行くモチベもあまり上がらないので&hellip;<br />
ちなみに自己ベスト自体は大学2年のときに出した11"78なんですが、78が75とかになってもしょっぱいし喜びきれないので、0.1秒単位で更新しにいくつもりで11"68を設定タイムとしています。にしてももう5年も前の記録なんですね&hellip;<br />
<br />
生活習慣に食事の内容にと変えなきゃならないことは山積みなんですが、一番大きなところではそもそも練習をどうやっていくかなんですよね。<br />
走るときは近所の公園や河川敷を使ったり、筋トレしたくなったら昔衝動買いしたダンベルを使ったりと意外にモノや環境はあるので、あとはやる気スイッチをオンにするだけ&hellip;ということで、練習メニューを作ろうと思っています。<br />
だいぶ心が離れてしまっていたのでフィジカルリテラシーもだだ下がりで、自分の体のコンディションも前ほど上手くつかめないし練習メニューのアイディアも全然湧いてこないんですが、もう初心に帰って一から勉強し直すしかないですね。ピークを合わせる大会は決まっているので、逆算して体を作って走れるように合わせていって&hellip;という漠然としたイメージはなんとか固められるのかなと。<br />
あと後輩にちらっと話したんですけど、作った練習メニューをTwitterとかに貼って「この日にこれやりましょー」「今日これやりましたー」っていう、場所は厳密に合わせずともなんとなく同じぐらいの日時に同じことをする「クラウド部活」的なことしてみたいなという気持ちもあります。<br />
<br />
それっぽいことをしていること自体が目的化しないように、11"68という結果にこだわってやっていきたい&hellip;ガンバロウ。]]>
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    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/2018%E5%B9%B49%E6%9C%88%E3%81%AB100m%E3%81%A711-68%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%99%E3%81%9E%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88</link>
    <pubDate>Tue, 19 Sep 2017 15:23:49 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>疑問質問</title>
    <description>
    <![CDATA[年度も明けて2週間が経ち、新入社員の皆様におかれましては「質問する前に自分で調べろ」と「どうして聞かずに勝手にやったんだ」の狭間で社会に対する冥い感情が募りつつある頃なのではないかなと思&hellip;ったけど普通はまだ研修とかやってて実務に携わってないもんなのかな&hellip;？<br />
<br />
ともあれ強引に話を続けますが、これ僕も新入社員側の立場だったらその日1日殺意に邪魔されて仕事どころではないんですが、聞かれる側になってみると「質問のレベルの切り分けができてるかどうか」という話なんだなと気付かされました。<br />
<br />
そもそも大前提として現代社会では大抵の疑問ってGoogle先生に聞けば一瞬で解決出来るんですよね。おおよそ一般教養的な知識や、MS Officeの使い方・テクニックなんかは疑問に思ったら即Google先生へ。人によってはWikipedia先生かもしれなくてそこはまだギリギリセーフなのかなと思うんですけど、Yah○○知恵袋さんは先生じゃないからやめましょうね。<br />
対して職場内での決裁フローや業務上の慣行みたいな所属先の専門性や独立性の高いことについてはさしもの先生方も答えてはくれず、ここは職場の諸先輩方のお知恵を拝借するしかないということになります。<br />
<br />
要するにGoogleで解決出来るようなことを質問されたら「質問する前に～」となりますし、職場なりの慣行があるものをGoogle先生に聞いてしまって一般的な尺度で測って判断してしまったら「どうして聞かずに～」となってしまうんですよね。<br />
僕なんかはもうデジタルネイティブエリートオタクなので後者のミスが割とあります。聞かずに"やってしまう"までは行かないにしろ、「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一時間の恥」とでもいいますか、1人で閉じこもって考えてしまうせいで時間のムダを生み出してしまいがちです。<br />
<br />
しかしデジタル（略）的には「前者のケースなんて起こりうるわけないでしょ今時の大学生なんてググってコピペでレポート書いて卒業してるじゃん」って思ってたんですけど存外そんなこともなくて、わからなかったらまず人に聞こう！っていう（略）オタクのコミュ力では到底真似出来ない処世術で渡り歩いてる人もいるんですよね。<br />
その姿勢自体は間違ってはないし僕も聞かれたら答えるんですけど、この手の質問に答えるときに考えてることって「知識ひけらかしてドヤりたい」が2割と「これに素直に答えてちゃいけないのはわかるんだけどどう誘導すればいいかわからない」が7割、残りの1割が「もしこの先コイツが周りに聞ける人がいない・自分が真っ先に聞かれる立場になったときにどうなるんだろう&hellip;」という心配だったりします。<br />
<br />
飢えている人には魚を与えるだけではなく魚の釣り方を教えよ、なんて使い古された言葉もあるんですけど、「魚の釣り方の教え方」は誰が教えてくれるんだよーとか考えながら糸口を模索する日々です。]]>
    </description>
    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E7%96%91%E5%95%8F%E8%B3%AA%E5%95%8F</link>
    <pubDate>Sun, 16 Apr 2017 14:58:02 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>心機一転</title>
    <description>
    <![CDATA[ご無沙汰しております。<br />
<br />
年度も明けて社会人生活も早3年目と相成りました。<br />
<br />
前回更新から先、2年目の下半期は筆舌に尽くしがたいしんどさがあり、思うところも多々あったのですが&hellip;まぁ過ぎたことなので置いといて。<br />
<br />
最近余暇を自堕落に過ごすことが多くなってしまったのと、やはりまとまった文章を定期的に書いていないと思考力が落ちていく気がするので、今年度は少しずつでも書いていきたいです。<br />
<br />
まだアイディア段階ですが、投資に関することとか、今期アニメに関することとか、時事に関して思うこととか、ある程度カテゴライズして書いていきたいなと思ってます。<br />
<br />
まだまだよろしくお願いします。]]>
    </description>
    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E5%BF%83%E6%A9%9F%E4%B8%80%E8%BB%A2</link>
    <pubDate>Sun, 02 Apr 2017 15:16:42 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>ポケモンGOのある世界で</title>
    <description>
    <![CDATA[ポケモンGO、みなさん楽しんでますか！？<br />
<br />
僕はというと配信日に即DL＆4800円課金までしたところ、翌日スマホの充電端子が壊れて本体ごと交換対応になってしまい、代替機がポケモンGO非対応機種だったため正味3日ほどお預けを食らってしまい、今リアルマネーに物言わせて1足飛びでレベル上げをしているところです。端的に言うとドハマりしています。<br />
実は金曜日会社が休みでして、その日は食事等も含め10時間どっぷりやってしまいました。<br />
<br />
基本的な仕様の説明は<a href="http://www.pokemongo.jp/" title="" target="_blank">公式サイト</a>に譲るとして、世に出たあとの影響たるや、本当に世界を変えてしまったという印象ですね。最近会社帰りに遠回りして駅に向かうようになってしまったんですが、同じ考えの人とわんさかすれ違いますし、一度深夜に近所の公園に行ってみたことがあるんですが、そこでも想像以上に人がいてちょっとこれはさすがにどうなんだって気もしたりしなかったり。<br />
<br />
いやでも本当にこのゲームはすごい。なにせポッポにモンスターボールを投げるというだけの出来事がこの上なく楽しいんです。<br />
なぜならそれを通して僕たちは、ゲームで動かした（あるいはアニメで見た）主人公になることができてしまうんです。最初はどんなポケモンでも出てくると嬉しくて、でも少し慣れてくると草むらから出てくるポッポにちょっとがっかりする。かと思えばレアなポケモンが出てきて大興奮したり、はたまたタマゴを孵化させるために延々と同じ所をぐるぐる歩いたり&hellip;楽しいことからちょっとしんどいところまで、ゲームでやったあれこれを現実の世界で追体験できるんです。<br />
よくアニメのフィギュアや精巧な造りの3DCGを「2.5次元」と表現することがありますが、ポケモンGOのAR（拡張現実）によって切り拓かれた世界は、これらよりも忠実に「2.5次元」という言葉の意味をなぞっているのではないかと思います。実際にはゲームの側から僕たちの世界に来てくれたわけですが、さながら僕たちがゲームの世界に入り込んでしまったような錯覚すらあります。<br />
<br />
しかしまぁ、接触事故がどうこうといった負の側面ばかりが強調されがちで、ガチガチに規制されたり「ポケモンGOをやめるべき○○の理由」みたいな識者ぶりたい人のネタにされてしまうのは悲しいものです。<br />
正直言うとポケモンにボール投げて捕まるかどうか見てる間やポケストップを巡ってるときに漫然と歩いてしまうときがある（猛省）ものの、ARモードのオンオフやポケモン出現時のバイブなど基本的にソフト側はかなり安全に配慮しているので、やはり使う人間のモラルが問われるものだと思います。そもそもモノが悪いみたいな話をｷﾞｬｰｽｶやりたいのであれば包丁と長時間労働の方がよっぽど対処すべきなわけで。<br />
<br />
昼夜を問わずポケモンを求めて人々がさまよい群がるこの「異常」が、果たして「日常」になっていくのか？と考えますと、きっとそんなことはないんだろうなと思います。おそらく1ヶ月もしたら「正常」に戻っていくのではないかなと。<br />
しかし自分がゲームのポケモンをやっていたときを思い返すと、シナリオクリアとその後ちょっとを含めてもだいたいそのぐらいの期間で飽きが来てまた別のゲームに移っていたような気がするので、そのあたりも含めてリアルといえばそうなのかもしれません。<br />
<br />
◆<br />
<br />
さて、自分はスポーツで飯を食っている人間なので、こういうときにもスポーツのことを考えてしまいます。<br />
<br />
<a href="http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jisshi/1294610.htm" title="" target="_blank">スポーツ実施率</a>の向上というのはスポーツ屋にとって大きな課題の1つです。全体の実施率も思うように伸びず、特に働いている世代の人たちはなかなかスポーツをする時間が取れない&hellip;ああでもないこうでもないと手を尽くしてみても状況は大して変わらなかったところに、任天堂様がポケモンGO1つ世に放っただけで外を歩き回る人が劇的に増えてしまったという事実は、スポーツ屋の人間として重く受け止めなければならないと個人的には感じています。<br />
なお、スポーツ実施率の調査ではウォーキングなども種目の1つとして認められている（<a href="http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2013/08/23/1338731_2.pdf" title="" target="_blank">H25年度調査票</a> Q4（ウ））ことに鑑みると、スポーツという語は競技性やルールといった点は問わない身体活動全般を指すと理解すれば良いかと思います。<br />
<br />
とはいえ永くマインドスポーツやe-sportsの類をスポーツとして認める理由に苦慮している日本のスポーツ観では、これもゲームの側の出来事として処理されて、スポーツの側の出来事としては見做されないでしょう。なにせスマホを持って歩いてるだけですし、おおよそスポーツといえる見栄えではないかもしれません。<br />
<br />
ではここでポケモンGOの要素の1つである「ポケストップ」に注目してみましょう。デフォルメされた地図上に様々な観光名所や特徴的なオブジェがポケストップとして表示され、それの近くに行くとアイテムが貰える。プレイヤーはこれを求めて地図上のポケストップを次々に巡っていくことになります。アイテムは5分で更新されるので実際には歩かないでその場に居座る人もいるのですが&hellip;<br />
<br />
さて、地図を見て、自然の中を駆け巡り、チェックポイントを辿って競うというスポーツがありますね。<a href="http://www.orienteering.or.jp/lets/" title="" target="_blank">オリエンテーリング</a>というものは確実にスポーツとして存在しています。ではポケモンGOは？手放しでスポーツだと言い切れるとは思っていませんが、議論の俎上にすら載せないというのは明確に間違いだと言えます。<br />
<br />
何がスポーツをスポーツたらしめる要件となるのかを考える上で、フォルクスワーゲン社の「Fun Theory」というものを紹介したいと思います。以下の動画は、「どうすれば人々はエスカレーターではなく階段を使うようになるか」という問題に対してとられたものです。<br />
<br />
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/2lXh2n0aPyw" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe><br />
<br />
このように階段をピアノにしてしまうことで、階段の利用者が通常よりも66%増えたそうです。楽しいという気持ちが人々の行動を変えるというのがFun Theoryの趣旨なのですが、これを僕に紹介してくれた方は続けてこうおっしゃっていました。<br />
<br />
「もしこの階段がずっと設置され続けていたらどうなるでしょうか？おそらく次第に人々は飽きていって、またエスカレーターを使うようになるでしょう。外発的な動機付けは継続につながらない、だからこそこれをいかに内発的動機付けにつなげるかが大事なのです。」<br />
<br />
やりたいという気持ちの源泉を自分の心の内に持つことで、自立した行動に繋げられる。考え方としては陸上の400mHの為末選手の「自己愛（参考：<a href="http://www.athletesociety.org/archives/5881" title="" target="_blank">①</a><a href="http://www.athletesociety.org/archives/5882" title="" target="_blank">②</a>）」に近いものがあります。<br />
ただし、外在的動機と内在的動機は必ずしも白と黒の二者択一ではなく、あくまでグラデーションの濃淡として捉えるべきもの、どちらか片一方ではなくて、どちらもあって程度の問題であると認識すべきでしょう。個人的にも競技をやっていた実感として記録や順位、それに伴う賞賛というものがわかりやすくモチベーションとなっていたことはありますし、最近のスポーツの観念としても「スポーツが文化である」という目的論的な視点が注目を浴びるにつれて、妙に手段論的な視点を毛嫌いしすぎる傾向があるのではないかという印象があります。<br />
<br />
配信から1週間の今はまだゲーム自体の面白さという外発的動機の熱量が大きい時期です。しかし先述のとおり人々がゲームに飽きてしまえば、熱も冷め、街を歩く人々も次第に減っていって、僕たちが思うところの「正常」な風景が戻って来てしまうでしょう。<br />
それはスポーツ屋にとって取り返しの付かない損失なのです。もしポケモンGOがカジュアルなオリエンテーリングだとかウォーキングの発展形だとか、どんな視点にせよスポーツの側のものとして受け容れられれば、長年スポーツ屋が頭を悩ませてきた課題も一気に吹き飛んで新たな地平が見えるはずです。<br />
<br />
そしてなんとも周到なことに、内発的動機付けに結びつきそうな要素までポケモンGOには用意されています。それはポケモンGOが仮想現実ではなく"拡張"現実という、現実とつながった世界にあることです。<br />
拡張現実のポケモンを追い求めて辿る道のりには現実の街並みがあり、拡張現実のポケストップには現実のオブジェがある。僕もこのゲームをやっている間に、自分の家の周りにずいぶん詳しくなったり、青山通りからちょっと外れた服屋の並びというおそらく一生通る機会がなかったであろう道を通ったりしました。ポケモンGOによって導かれた現実世界の探検はとても楽しい体験でした。おそらくこの楽しさこそが、内発的動機付けに繋がる小さくも大きな一歩なのだと思います。<br />
<br />
そしてこの楽しさに導く役割は、20年の歴史を持ち世界中で親しまれてきたポケモンだからこそ成せる業でしょう。あのポケモンが僕たちの世界にいるということのインパクト、世界中の老若男女への知名度においてこれに対抗できるキャラクターがどれほどいることでしょうか。<br />
<br />
◆<br />
<br />
ポケモンGOは世界を変えてしまったけれど、それがあまりにも劇的すぎて変わってしまった世界の未来をいまいち想像しきれていないのかもしれません。しかし旧来的な価値観に囚われて変わってしまった世界を受け容れられなければ、これまでどおりの不満や課題がこれまでどおり残り続けるだけになってしまいます。<br />
<br />
ポケモンGOのある世界で、僕たちの生活や未来はどうあるべきなのか、どうあれば今より少しでも良いと思える世界になるのか、拡張現実のポケモンから現実の僕たちへの問いかけなのではないでしょうか。]]>
    </description>
    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%83%B3go%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7</link>
    <pubDate>Sat, 30 Jul 2016 13:43:11 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>節操の無さを削ぎ落とせたなら意識高い系の世界観も悪くないなという気がしている</title>
    <description>
    <![CDATA[タイトルで語りきったので本文は省略します。<br />
<br />
というわけにもいかないのできちんと&hellip;<br />
<br />
<br />
<br />
■カタカナ語問題<br />
意識高い系といえばカタカナ語みたいなとこありますよね、コミット！シナジー！イノベーション！<br />
<br />
最近弊社の管理職世代からよくカタカナ語問題が取り沙汰されます。意味わからんから日本語で言えやと。ある人は「正直会議中意味わかってないときあるけどわかったフリしてうんうんうなずいてる」なんて言ってたりもします。<br />
<br />
こういうのにすぐ老害ガーとか言っちゃうのは若い人の傲慢だろうし、やっぱり程度の問題なんだろうなと思います。「シナジー」ぐらいならなんとか理解してくれ頼むって感じですけど、「スキーム」とかは若干怪しくなってくるし、「グッドプラクティス」とかお前それもう「成功事例」って言ったほうが文字数も少ないだろっていうのはなるべく使わない方がいい。<br />
<br />
ちなみにカタカナ語って若い人が使いたがるっていうのも1つあるんですけど、企業とか組織単位で使いたがりっていうのもあるんですよね。特に海外相手に仕事をすることが多いところは日本人同士の会議の中でもわざわざカタカナ語を使いたがる印象があります。日々気をつけてないと英語に切り替えるときに詰まっちゃうのだろうか、それとも日々有能アピールを欠かさないのだろうか。辟易。<br />
<br />
自分は基本的に漢字語で、カタカナ語使いたがりを相手にするときには意識的にカタカナ語を織り交ぜるように意識しています。やっぱり日本人同士のコミュニケーションなら表意文字である漢字をベースにする方が自然なんですよね。「せいこうじれい」って音で聞いたら脳内で「成功事例」と漢字に変換して、文字の意味から言葉の意味が理解できますが、一方で「ぐっどぷらくてぃす」は音で聞いても表音文字の「グッドプラクティス（Good Practice）」にしか変換できないから、英単語の意味を知ってるかどうかの余計なワンステップを挟むことになってしまう。<br />
その辺考えるとカタカナ語使いたがり界隈は脳内の思考のベースが英語になってるからカタカナ語で聞いたほうが理解が早いという可能性もある&hellip;のかな？日本人でそんなことはありえないと思うんですけどね。<br />
<br />
ただまぁ漢字語にせよカタカナ語にせよ、言葉ごとにそれぞれ正確な意味があるというのもまた一つの事実なので、なんらかの状態を言い表すのに漢字語だと回りくどくなっちゃうからカタカナ語を使うというのはあると思います。「相乗作用」よりは「シナジー」と言いたいというのは許して欲しいみたいな。その辺も含めて使い分けが大事だよねっていう。<br />
<br />
<br />
<br />
■複合で挑む<br />
「複合で挑む」、ケンガンアシュラの大久保対牙戦面白かったですね。ケンガンアシュラは裏サンデーのサイト開設時からずっと読んでるのでここまで人気が出ると感慨深い&hellip;<br />
<br />
閑話休題。<br />
「アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせ」と言うのは先人の言葉ですね。仕事をしてる中で課題が見つかったとき、所属課の文脈や暗黙知をベースに考えがちになってしまうんですが、別の課のノウハウや異業種の知見、大学時代に見聞きした概念・分析枠組み等々から解決の糸口を見出せないかというのはなるべく意識しています。<br />
それはおそらく母の「物事は前からだけじゃなくて上からも横からも見るんだよ」という言葉の影響もあるんだろうなと思います。1つの物事については色々な視点から見るようにするんですけど、それに夢中になって視野が狭くなるのが自分の短所&hellip;というのはまた別の話。<br />
また、国際総合学類の「国際問題の背景には政治や経済や法や文化が複雑に絡み合っていて、1つの専門分野単一の知見では解決に結びつかないよね、幅広く組み合わせて（＝学際的に）考えなきゃいけないよね」というマルチディシプリン（使っちゃったよ）に依るところも感じています。<br />
<br />
意識高い系の人ってやたらと「○○&times;△△」みたいな掛け算大好きですよね。腐女子かってね。<br />
それも上記のようなことに鑑みるとあながち間違った思考プロセスでもないんだろうなっていうのがわかってきはしたんですけど、「難民&times;途上国開発&times;紛争解決」みたいな大風呂敷な話になってくると胡散臭さが出てくるのも事実。まぁほんとにやってのけるヤツもいたりするからすごいんですけどね。<br />
<br />
掛け算でも総当りでもなんでもいいですけど、組み合わせからアイディアを考えていくにあたって気をつけなきゃいけないのが需要と供給を逆転させてしまっていないかということです。<br />
なんらかの問題があって、解決する必要（需要）があって、まずはそこが出発点になって様々なアイディアを出して解決に向かっていくのが本来の在り方なんですが、自分が提供できること（供給）を出発点にして、相手がそれを必要としていると"思い込んで"、独善的な施策をやろうとするという需給の逆転がしばしば起こります。<br />
<br />
スポーツ界隈でも東京オリパラの絡みで国際貢献が流行ってきてるんですが、「アフリカ諸国にスポーツ用具を送ります！」なんてことを素でやってて、「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」とか「魚の釣り方を教える人を育てられる環境を整える」みたいな途上国開発を考える上での初歩の初歩を全力で逆行している辺りに不安を覚えてしまいます。いやまぁ段階的にやってくのかもしんないですけどね。<br />
<br />
<br />
<br />
■節操というか、欺瞞というか<br />
おそらく意識高い"系"の問題は「すごいことをやっている」という隠れ蓑を上手く使って、結局は自己アピールがしたいだけということなんじゃないかと思います。そりゃ誰しもちやほやされたい気持ちはあるんでしょうけど、それが目的になってはいけない。<br />
<br />
ただ言葉遣いにしろアイディア出しにしろ、それが話をしている相手や解決すべき問題に眼差されたものであるのならば、批判されるいわれはないんですよね。<br />
問題は全て自分の外にあって、コミュニケーションの中でそれをすくい上げて、より良い方向へ導いていくということの繰り返しでしかありえない。自己実現とかそういうのは副次的なものであって、それがメインには成り得ない。<br />
<br />
意識高い系の世界観も含めて「幅広い知識」として持っておいて、上手く使いこなせたら良いのかなーという気がしている今日この頃です。]]>
    </description>
    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E7%AF%80%E6%93%8D%E3%81%AE%E7%84%A1%E3%81%95%E3%82%92%E5%89%8A%E3%81%8E%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%82%89%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3%E3%82%82%E6%82%AA%E3%81%8F</link>
    <pubDate>Wed, 08 Jun 2016 16:56:40 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>1年</title>
    <description>
    <![CDATA[あっという間に1年が過ぎてしまいました。<br />
<br />
年をとるごとに1年の主観的な時間が短くなるという話は聞いたことがありますが本当にこの1年は早かった&hellip;右も左もわからないまま過ぎ去ってしまったような感じがします。<br />
<br />
明日からは「1年目」という最強の盾を失うどころか、頼れる先輩が異動してしまいさらにさらに新卒の子が直下に入ってくるというこれまでの23年間でもトップレベルの「私の人生どうなっちゃうの～～～？？？」感に苛まれております。<br />
<br />
1年の振り返りと申しますと、仕事面で思うことは多々あるのですが、長々と書くのも大変なので1つに限定して、この1年で自分の中に芽生えたある不思議な感情を取り上げたいと思います。それが「大学時代への憧憬」です。<br />
<br />
いやそりゃ働き始めたら毎日が日曜日学校の中に遊園地な大学時代に戻りたくなるのは当たり前でしょってなるんですけど、どちらかというと「大学時代にもっと意識高いことしておけばよかったのかもしれない！」と思うことが増えてきたんです。<br />
<br />
ちょうど1年前の今日、<a href="http://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%B7%8F%E5%90%88%E5%AD%A6%E9%A1%9E" title="" target="_blank">ぼくと国際総合学類</a>という記事を書きました。自分が所属しているはずの学類を彼岸として見ているマージナルな4年間の有り様を、ありのままに書いたのですが、この1年間で最後に書いた「コンプレックス」の比重が、徐々に大きくなっているような感覚があるのです。<br />
<br />
そしてまた同時に、これも記事の中で出てきたのですが、ゼミを思い返すことも多くなりました。目の前の書類のことしか考えられなくなっているときにふと、荒野を切り開いていくかのように議論を交わしてたあの頃は「頭使ってる」感じがあって楽しかったなぁと思う瞬間があります。ちなみに少し前にゼミの同期と飲んだんですが、みんなもわりかし同じことを考えるようです。<br />
<br />
そして一番たちが悪いのが、今やってる仕事が絶妙に大学時代の専攻であった開発人類学と絡んでくること。そのときに、自分がゼミを通して学んできたこと、国際総合学類にいたのにしてこなかったこと、大学時代においてきてしまったものと拾おうとしなかったものが、一気に押し寄せてくる。<br />
<br />
結果論で過去を否定するのは良くなくて、陸上同好会が生きがいの全てとも言えたあの時代の自分に、これまで辿ってきた以外の選択肢が取れるはずもないのはわかっていても、それでも、大学時代が少し悔やまれる。<br />
<br />
今の仕事も恵まれた環境ではあるものの、憧憬と同時に訪れる違和感は、きっと大学時代にも感じていたものなのではないだろうか。もしかしたら脇道にそれることでなにか拓けるのではないか&hellip;そんなことを考えながら、2年目も頑張ろうと思います。]]>
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    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/1%E5%B9%B4_206</link>
    <pubDate>Thu, 31 Mar 2016 14:33:26 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>説明の技術</title>
    <description>
    <![CDATA[人に説明するって難しい。<br />
自分も人に説明する場面では色々気をつけてはいるものの、やはり改善すべき点は幾つもある。翻って人が自分や、あるいは他の人に説明している場面を思い返すと、勉強になるところもあれば「今のはわかりにくいんじゃ？」「こう言ったほうがいいのでは？」という反面教師的な部分が見えてくることもある。<br />
そういった積み重ねをしていく中で、ある程度自分の中で人に物事を説明する上での技術が体系化できてきた（気がする）ということで、備忘録として1度書き記しておこうと思う。<br />
<br />
<br />
<br />
■「説明」の大原則<br />
人に物事を説明する場面で押さえるべき大原則はただ1つ、<strong>聞き手に依存する説明をしないこと</strong>である。<br />
<br />
説明というのはつまるところ話し手と聞き手のやり取りになるので、話し手の説明が無茶苦茶でも聞き手の理解力が高ければ成り立ってしまうということが往々にしてある。が、常に聞き手の理解力が高いとは限らないため、やはり話し手が丁寧に説明するべきなのは言うまでもない。<br />
<br />
高校時代の国語教師が「大人が書いた文章を理解して、子どもにもわかるように話せるようになりなさい」みたいなことを言っていたのが結構印象に残っていて（というかこのセリフだけで国語教師志してもいいぐらいのインパクトがあった）、個人的にはこの影響が大きいので、丁寧な説明を心がけるようにしている。<br />
<br />
しかし「子どもでもわかるように」だと汎用性に欠ける（基本的に大人としか喋らないのにこの標語では機能しづらい）ので、自分は普段<strong>「105%の丁寧さで説明する」</strong>ことを意識している。説明が足りないとミスに繋がるおそれがあるが、説明し過ぎはウザいだけで済む。とはいえ丁寧すぎてもダラダラ長くなりがちなので、バランスとしては「105%」がちょうどいいと思っている。<br />
<br />
<br />
<br />
■情報の「差」を理解すること<br />
さて、そもそも「人に説明する」という状況はなぜ起こるのかを考えてみると、取りも直さず「自分が知っていて、相手が知らない情報の差を埋めるため」に説明するのである。<br />
<br />
ここでちょっと想像してもらいたい。自分と親しい友人が、別の友人との間で起こった「すごい面白い話」を自分にしてくれているのだが、登場人物が追いきれなかったり、場面や時系列が錯綜していたりでイマイチ面白いポイントに乗りきれなかった&hellip;みたいな経験、皆さんにも1度や2度はあるのではないだろうか。<br />
<br />
ここで話し手が気をつけなければならないのが、<strong>聞き手が何を知らないのかを想像すること</strong>である。<br />
自分の脳内にある記憶や情報は、基本的には自分にとってわかりやすいように切り貼りされている。例えば友人との思い出なら、その友人の呼称や人となりといった部分は適宜省略されている。しかしそれはあくまで自分にとって最適化された省略でしかなく、聞き手にとって最適化されているわけではない。友人との思い出を人に説明する際には、聞き手が知らないであろうその友人の呼称や人となりなど、省略された文脈を補いつつ追っていかなければならない。あくまで原則は「105%」であって、説明の省略は場面が限られる高等テクニックだという認識を持ちたい。<br />
<br />
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<br />
■説明の省略ー正確さとわかりやすさのトレードオフー<br />
省略は説明不足に繋がるリスクを抱えているが、しかしあえてガッツリ省略した説明をしなければならない場面もあり、それが省略を高等テクニックたらしめている。<br />
<br />
例えば英語を勉強していて、"must"という単語と出会った場合。正確な意味を辿っていくと、義務という意味の他にも必然性の高い推量という意味もあるんだなとか、"have to"との違いがどうとか、1つの単語に膨大な時間を割くことになってしまい時間対効果の低下を招いてしまう。<br />
<br />
それを見越してかどうかは定かではないが、自分が受けてきた英語教育を思い返すと、まず中学の段階では推量という意味は教えられなかった。つまり説明を省略して、あえて正確でない教え方をしていたということになる。<br />
しかしここで正確な説明をすべきだったかといえばそうとは限らない。まずは不正確な形でもいいのでとりあえず慣れさせ、経験値が溜まってきたタイミングで徐々に正確な説明を付け加えていくというプロセスになっているのである。<br />
これは英語よりも歴史の授業なんかを思い返すと想像しやすいかもしれない。小学校で習う明治維新と高校で習うそれとではどんな人物がどんな動きをしていたかという記述の厚みが違うが、そこでは重要度によって小学校で教えるべき範囲と高校で教えるべき範囲の切り分けがなされている。<br />
<br />
授業などのように、1つのテーマについて継続的に説明する機会が設けられている場合には、「とりあえず簡単な説明で流れをつかませる」という手段が有効になる。「よくわからんからドラゴンボールに例えてくれ」でも全然構わない。とにかく聞き手の意識の中に土台をつくり、経験値を溜めさせるのだ。<br />
優秀な人がやってしまいがちな誤りとして、不正確なことを言わないように心がけるあまり、説明が複雑化してしまうというのがあるが、不正確が常に不適切とは限らない。聞き手本位で考えていって、聞き手が理解しやすい流れを見極めることが重要である。<br />
<br />
逆に1回こっきりの説明になる場合はどこまで省略すべきかというバランスが難しいが、<strong>聞き手が理解できていない説明は説明として失敗している</strong>ということを忘れてはいけない。<br />
<br />
<br />
<br />
■空中でプレゼンを描く<br />
よく行き届いた就活教育により「結論から喋る」というのも王道テクニックとして周知されてきた昨今、それが微妙に誤解されて「結論から切り出し始める」というウルトラCをかます人が少なくない。場面や意味合いが多少異なるが、唐突に「例の件ってどうなったの？」から話をし始められ、「何の話をしているんだろうこの人&hellip;」となって数秒フリーズすることも&hellip;ね&hellip;（明後日の方向を向きながら）<br />
<br />
結論を先に言って印象づけて、理由の説明を付け加えていく&hellip;というのは間違っていないのだが、なぜそういうやり方をするのかといえば、「今からこういう話をします」と宣言することで、聞き手の心構えができるからに他ならない。とすれば、より重要な事は<strong>「タイトルや目次」から喋る</strong>ことだと言える。<br />
<br />
ここで以前自分が陸上同好会の卒論発表会というイベントで参考にした<a href="http://www.slideshare.net/yutamorishige50/how-to-present-better" title="" target="_blank">見やすいプレゼン資料の作り方</a>というサイトをご覧頂きたい。<br />
この手の話も昨今の就活エリート達にとっては今更だとは思うのだが、例えばp54～56の「目次スライドの挿入」や「現在位置を示す」などは<strong>プレゼンテーションを伴わない説明にも応用ができる</strong>。まず道筋を示し、聞き手がきちんとついてきているかどうか確かめる。「聞き手がどのように説明を理解していっているか？」を想像しながら、丁寧に丁寧に説明していくのである。<br />
ちなみにP59の「レベルに合わせた情報量」というのは前項の話に相当する。他にも文字の強調などは、声の強調と読み替えてもいいだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
■説明の練習とPDCA<br />
みんな大好きPDCA。"回す"って表現がドヤ感あってキツいというのはまた別の話。<br />
1回説明をした/された後には、簡単にでいいので説明の良かった点や悪かった点の振り返りをするのが良い。その地道な積み重ねでしか上達はありえない。<br />
<br />
特に気をつけたいのが自分が疲れてるときにした説明だ。経験則だが、疲れてると普段意識してることが抜け落ち、悪癖が出やすくなる。それをきちんと振り返ることで、悪癖（＝改善点）を再認識でき、説明スキルの経験値効率が良くなる。<br />
<br />
また、反復練習の継続は思考や動作の自動化につながる。みなさんも自転車に乗る練習をし始めたとき、最初はどうやってバランスを取るか考えながら必死にハンドルを動かしていたのが、いつしか何も考えずに乗れるようになり、さらには人と喋ったりスマホを見たり（※犯罪です）しながらでも自動的に自転車に乗れるようになっているという経験があることと思うが、これまで書いてきた説明の技術も、反復練習によって無意識に出来るようになる（ものと信じている）。<br />
<br />
最後に個人的な課題を述べると、人に説明しようとする前にいちいち「ああ喋ってこうつないで&hellip;」というシミュレーションをしないと話しに行けないというフットワークの重さを治したいなと常々感じている&hellip;<br />
<br />
<br />
<br />
少しでも見ている人の参考になれば嬉しいが、もしこの記事自体の説明がわかりづらかったら不徳のいたすところ。やはりまだまだ修行が足りない&hellip;]]>
    </description>
    <category>日記</category>
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    <pubDate>Sun, 07 Feb 2016 00:15:35 GMT</pubDate>
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    <title>仕事周りのあれこれ</title>
    <description>
    <![CDATA[最近思うことをつらつらと。<br />
<br />
■ホウレンソウってやつ<br />
初っ端から恥ずかしい話なんですが、「なんで報告しないんだ」的な怒られ方を割としてしまったときがありまして。報連相とかPDCAとか今時幼稚園児でも聞き飽きてそうだというのに。<br />
<br />
なんで報告しなかったかって考えると「報告する事項だと認識していなかった」っていうのがあるわけなんですよね。<br />
例えば何をもって「仕事ができる」と言うかを考えたときに、そのうちの1つとして「何か起きたときに自分で判断・対処できる範囲が広い」というのが挙げられます。<br />
そういうのって経験の積み重ねで広がっていくんだと思うんですが、僕がやってしまったときには似たような事例を前に見たな～という進研ゼミばりの察しによってホイホイ勝手に進めてしまった結果怒られてしまったという&hellip;<br />
<br />
何か起きたら少なくとも管理職には都度報告するってのは言うまでもないことだと思っていたらこういうことしちゃうんだからどうしようもない。<br />
しかしこう、根本的な話として、課や部のタスクを管理する立場にある人間が把握していない情報がある状態ってのは良くないわけで、その辺はきっちり意識しないとなぁと思った次第です。<br />
<br />
<br />
<br />
■タスク管理<br />
自分の手元にある仕事を管理するに当たり、意識するのは「優先順位管理」と「負荷管理」だと考えています。<br />
<br />
優先順位管理は割と意識的にやっています。デスクに付箋を貼っておくボードを置いてるんですが、それを緊急度とかで4分割しておいて、貼る場所によって優先順位付けをする&hellip;みたいな、まぁネットでよく見るやつです。<br />
ただ気づくと緊急タスクのところにばっかり貼っててボードが意味を成してないことがしばしばあるので、切り分け方にも技術がいるんですよね。<br />
<br />
対して負荷管理は難しいところが多いと感じます。今抱えている仕事にどれだけの時間が必要かとか、1ヶ月先だとどれぐらいの量抱えそうかとか、そうなるとこの辺りの時期から超過勤務も已む無しなのかなとか、そういった判断がまだ甘いですね。<br />
1年目だと全体像が把握しきれないという言い訳をするのは簡単なんですが、やはり意識しないと出来るようにはならないってことで、日頃の反復練習を心がけたいとは思っております。<br />
<br />
それとこれは改善すべき点なのですが、人を頼って自分の仕事を手伝ってもらうというのが非常に苦手なんですよね。<br />
自分だけでなく周りの人の負荷量もなんとなく把握して、頼ったり頼られたりして全体の負荷量をコントロールできるのが理想なんですが、周りの人がどんな仕事をどれだけ抱えているかってなかなか見えなくて、そこに自分の負荷を肩代わりさせるなんておこがましいと思ってしまいます。<br />
また、自分の悪い癖で「自分のモノは自分のコントロールできる範囲に置いておきたい」というのがあって、自分の仕事を他の人に任せて自分のやり方と違う動きをされることに抵抗があるので、そうならないように自分の仕事は全部やりたい&hellip;みたいな。<br />
しかし仕事である以上は成果物と受け手（お客様）本位であるべきであって、自分がどうこう言うべきではないんですよね。デスクを離れたら理解できるんだけどなぁ&hellip;<br />
<br />
<br />
<br />
■疲れとの付き合い<br />
周りの話を聞くと相対的にはかなり楽な職場ではあるんですが、最近多いのが自滅で疲れを溜めてしまうパターン。<br />
<br />
睡眠不足だとやはり露骨に効率が落ちるのが実感できるので、超勤して帰りが遅くなったときはさっさと寝ればいいんですけど、どうしてもそっからダラダラとゲームをしてしまい、睡眠時間が削られ&hellip;という絵に描いたような悪循環に陥ってしまいます。<br />
<br />
これが自分だけなのか周りもそうなのかはわかりませんが、精神的に削られた穴は精神的充足によってしか埋められないように感じられて、帰ってただ寝るだけじゃそれができない、やはり好きな人と話したりゲームしたりアニメ見たりマンガ読んだりしないと回復できない、って思っちゃうんですよね。<br />
<br />
当然その分は身体的に削られてて、それに引っ張られて作業効率落ちて精神的なダメージも積み重なるのでどこかで断ち切らないと逃げ場がなくなってしまうんですが、どうしたものか&hellip;<br />
<br />
これもよく言う話ですけど土日だけじゃ足んないですよね。もしくは水曜と土曜が入れ替わってくれればなんて。<br />
年末年始はゆっくり帰省できるのでそこで癒やし溜めしときたいです。年が明けたら年度末までは息つく暇がなさそうなもんで。]]>
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    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E5%91%A8%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8C%E3%81%93%E3%82%8C</link>
    <pubDate>Wed, 23 Dec 2015 11:16:47 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>役割</title>
    <description>
    <![CDATA[自分がブログ巡回をしていて一番げんなりするのが「[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。」という文言を見た時なんだけど、それを自分ちでやることになってしまうとは。誠に遺憾の限りです。<br />
<br />
8月は本当に仕事が忙しく、それからもなんやかんやあって、ネタだけで言えば書くに事欠かない状況だったのですが、筆を取る気になれず&hellip;<br />
酒が入ったタイミングで1回リハビリを、とは言っても出張やら陸上の大会やら色々あって何から書いたものか。ということでとりあえずは思うことをつらつらと。<br />
<br />
自分は自分の好きなことを、というかまぁ言ってしまえばスポーツを生業として今生活をしているわけなんですが、それによってむしろスポーツのことを考える時間が減ったという悩みを抱えています。<br />
よく「趣味を仕事にするとその趣味が嫌いになるからやめとけ」みたいな話は聞きますが、まぁそこまではいかないんですけど、ただ自分は「仕事」のことを考えて、「仕事」を熱心にやってはいるものの、「スポーツ」に結びついているのかというところまで気が回っているのかというと、素直に肯定はできないというのが現状です。<br />
<br />
大学時代、お世辞にも熱心に勉強していたとは言えず、学ぶことのコストが莫大なものになってしまった今となってはそれをただただ悔やむ一方なのですが、それでも卒論の時期あたりはまだスポーツのあるべき姿について青写真を描くことをしていました。それが今では、確かに意義のある事業に携わってはいるものの、それがどのような効果を及ぼしているのかというところを考察できないまま、淡々と業務をこなすだけになっているような、満点を、あるいは120点を求めることをせず、合格点であれば善しとしているような&hellip;<br />
明確に間違ってはいないから咎められず、しかし正解ではないがゆえにゆるやかに下っているような、そんな感覚を覚えて仕方がない。<br />
<br />
まだ仕事の流れなんかも把握しきれておらず、日々の業務を十分にこなしてるとは言えないというのも反省すべき点の1つではあり、またルーティーンというのもそれが構築されるまでには様々な積み重ねがあったのであろうことも認識すべきなのですが、それでいっぱいいっぱいになってはいけないのだと思います。常に夢を見る余裕を持たなければならない。<br />
<br />
かといって余裕があるばかりでもいけない。ここまで意識高いこと言っておいて、実のところ家に帰ってから自分を高めるようなことをできているとはいえず&hellip;<br />
時間は常に流れてるし、漂っていれば低きに流れるというのを日々痛感させられます。抗いたければもがくしかない。<br />
<br />
そりゃもちろん業務に追われたくはないんですけど、責務は果たすべきだろうと思います。<br />
自分に課せられた責務がなんなのかを考え、追い求めていきたい。<br />
<br />
なんでも安易に自分の土俵に引き寄せて考えようとするのは頭悪く見えるけど、それでもこの様はちょっとスプリントっぽいな。]]>
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    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E5%BD%B9%E5%89%B2</link>
    <pubDate>Wed, 28 Oct 2015 17:10:46 GMT</pubDate>
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    <title>オリンピック・パラリンピック関連イベントに行った話</title>
    <description>
    <![CDATA[14日に文京シビックホールで開催された「東京オリンピック・パラリンピックキックオフイベント　2020年へ夢をつなごう！」に行ってきました。<br />
フジテレビの須田哲夫氏の司会による進行のもと、第Ⅰ部が柔道の山下泰裕氏の基調講演、第Ⅱ部が山下氏と体操の冨田洋之氏、女子サッカー監督の佐々木則夫氏、車いす射撃の田口亜希氏によるトークセッション、第Ⅲ部がオーケストラのコンサートという構成になっていて、僕はⅡ部まで聞いて（空腹に負けて）帰りました。ハイカルチャー理解できない系男子っぽくてダメですね。<br />
<br />
山下氏の基調講演では、今までの競技人生の振り返りや、モスクワ五輪のボイコット、ロス五輪での金メダルのエピソードを振り返ったあと、オリンピアンとパラリンピアンの待遇格差などの話題にも触れ、最後には「2020を目指していく中で、スポーツの裾野が広がっていくのが理想」というオリンピック・レガシーの在り方を述べるというものでした。<br />
ロス五輪でのラシュワン選手との決勝戦の話についても触れておられましたが、これをフェアプレーと捉えるかは『<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9-%E5%B7%9D%E8%B0%B7-%E8%8C%82%E6%A8%B9/dp/4888489238" title="">スポーツ倫理学講義</a>』という本に書かれていた内容が面白かったなというのを思い出しました。<br />
全体としてはやはり「スポーツ」というものに真摯に向き合っておられる方だけあるなという、大衆向けでありながらもエッセンスは織り込んである、示唆に富んだ講演でした。<br />
<br />
トークセッションでは事前に子どもから受け付けた質問を4人に投げるという形で、司会の須田氏によって軽快に進んで行っていたのですが、このセッションにはいくつか気になる点が。<br />
まず質問の内容が「強い選手になるためには」というところに偏っていたこと。「子どもからの質問」というエクスキューズがあったとはいえ、オリンピック・パラリンピックを競技イベントとしてしかとらえていないのでは第Ⅰ部の山下氏の講演が台無しだったのではないかなと感じました。<br />
次に、「強い選手の育て方」というテーマでは、山下氏から「強ければ（※競技力が高ければ）いいというものではない。諸外国のように、様々なスポーツに触れる機会が必要」という意見や、佐々木氏から親の過熱化を諌める旨の発言があったのですが、「次の世代の選手をいかにして発掘するか？」というテーマに対しては、当の佐々木氏から「U14やU17といった若い世代からの一貫指導」という矛盾した発言が出てしまったこと。壇上に立っている方々の間でもいまだにこういった認識の乖離があるのは残念でした。市民スポーツと競技スポーツの間に境界があるような感覚、これをいかに取り除くかこそを語り合う場だと思っていたんですけどねぇ&hellip;<br />
そしてなによりも恐ろしかった（こう表現する他ない）のは、司会の須田氏のリーディング。オリンピック・パラリンピックを捉えていないかのように語らせる場を作り出しているのは、そのように質問を投げかけ、話を聞き、膨らませる須田氏なのです。そういった話を、聴衆は喜んで聞いている。須田氏は徹底的に聴衆を楽しませている。おそらく、オリンピック・パラリンピックや、そのレガシー、これからのスポーツ界がいかなるものとなるべきか、そんな話よりも、トップスポーツに関わる人々の、ある意味で彼岸の話、それらの方が聴衆を惹き付ける。それがわかっているからその方向へ導く。おそらくアナウンサーとはそういう仕事なのだろうと痛感させられました。僕はシンポジウム的なものを期待してこの場に行ったわけですが、須田氏のリーディングによって実際にはかなりエンターテインメント性の強いものになっていました。まぁ確かにタイトルも「シンポジウム」ではなく「キックオフ"イベント"」なので間違ってはいないのですが&hellip;<br />
<br />
また、印象深かった点として、田口氏がパラリンピックそのものの地位向上を志向して発言していたことでしょうか。これは非常に意義のあることだと思います。<br />
障害者スポーツというのは競技スポーツ/市民スポーツ以上に無意識な線引がなされやすいもの（自戒）かと思いますが、パラリンピックがオリンピックの影に埋もれるとなってしまっては豊かなスポーツ社会が保障されているとは口が裂けても言えませんしね。<br />
<br />
全体的な総括として、かなりキツイ表現ですけれども、オリンピック・パラリンピックの意義や理想像を再構築するというよりは、既存の意識をなぞって悦に入ってるという印象もなくはなかったかなと。<br />
2020年へつなぐものが泡沫の夢であってはならない。2021年やその先までも続く夢をみんなで考えるような場がこれからもっと増えてほしいものです。]]>
    </description>
    <category>日記</category>
    <link>https://hurdlosopher.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A9%B1</link>
    <pubDate>Tue, 21 Jul 2015 14:20:18 GMT</pubDate>
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